事実を超えて真実に近づける力
ヨーロッパの新聞やテレビが毎年4月1日にやるエイプリル・フールのうそんこ記事は有名だ。“アルザス・ロレーヌ地方がドイツに併合された”だの“アントワープ独立”だの、冷戦時代には“ソ連と平和条約締結”とかもたしかあったと思う。なかなか大ネタだ。
新聞やテレビでやるわけだから、当然国民ぜんぶを騙すことになるわけだが、彼らは、わかった上で1年に1度の大嘘を楽しみにしてる節がある。日本でもトライしようとした勇気ある人たちがいたけれど、結局小さな顰蹙を買っただけで終わってしまった。
嘘を楽しめる能力は、知性のような、客観性のようなこととたぶん相関しており、クリエーティブ・パースンにとって絶対必要なものだと思う。
種村季弘が『詐欺師の楽園』の中で、史上最大と言われる仕掛けを紹介している。
1910年イギリス。外務次官サー・チャールズ・ハーディングから戦艦に宛てられた電報から始まる。「アビシニア(エチオピアの旧名)皇帝ナラビニ皇太子一行、キョウ到着。(略)歓迎応対ハ国賓待遇ニテオコナウベシ。」
ケンブリッジ大学生6人がエチオピア皇帝一行になりすまして、大英帝国連合艦隊に船上でものものしく謁見した。最大級の歓待を受け、特別列車でロンドンに発つまで、当時常勝を誇っていた海軍を鮮やかに騙し通した。新聞社に写真を送り、翌日紙面を見た一般市民は大喝采。事前調査、情報網、変装、にせエチオピア語等々、知恵も時間も金もばかばかしいほどかけた完璧な準備。
嘘はまじめにつかないといけません。6人の中には、女子大生・ヴァージニア・ウルフがいたという。まるで詩のような小説『波』の登場人物が6人なのは、偶然かしら。自ら命を絶つことになる作家が、こんなにお茶目だったとは。
『朗読者』のベルンハルト・シュリンクは、『夏の嘘』という蠱惑(こわく)的なタイトルの短篇集を書いている。7本の短編のうち、ひとつを除いて、何気についた嘘や微かな秘密が運命を変える、という共通点を持った痛切な短篇集だ。
その中に、『最後の夏』という作品がある。末期がんの初老の男が自分の死期を悟り、家族の誰にも告げずに、少しずつ毒物を体内に取り込み緩慢な自殺を図る。彼の妻は、その秘密を知った瞬間、圧倒的な怒りと共に家を出る。そして、二度と戻らない。
どの嘘もどの秘密も、悪意がない。けれど、運命から大鉈を振るわれてしまう。読んでみようと思われた特に女性たちに、いちおう注意書きを。たぶん、みなさん、ここに登場する男性主人公お嫌いだと思われます。インテリで内向きでよい人で何もしない、優柔不断オブ・ザ・イヤーみたいなおじさんばっかり登場するので。為念。
もうひとつのゲームに、それぞれの国民性に拠ってたった悪口合戦がある。かなり激しく言い合うのだけれど、さっぱりしていて完璧にお約束事になっている。
モンティ・パイソンのスピン・アウト“フォルティ・タワーズ”は、ジョン・クリーズ(モンティ・パイソンのシリー・ウォークの人です。“ガープの世界“にも出ていました)主演で、イギリスの小さなホテルを舞台にした連続コメディの傑作。
その中でイギリス人は、給仕のスペイン人を馬鹿にしている。アタマが悪くて下品で怠け者ということで、見下してるのを隠そうともしない。スペイン人の方は、イギリス人を俗物でセックスヘたっぴということで、これまた見下ろしている。
これは、言ってみれば国と国との関係だが、オトナっぽくて、ユーモラスで、何より歴史とアクチュアルな知恵が感じられる。お互いの、定評のある欠点を楽しくあげつらい合える関係は、いわば紛争防止オペレーション・システムとして優秀だと思う。
ファクトもデータも様々なことを教えてくれる。それがなければ、思考回路は始まらない。けれど、それだけでは、何も始まらない。そこに、解釈ではなくアイデアを加えなければ、それらは、いつまでも、眠っているだけだ。
僕たちの仕事に必要なのは、やはり、物語構築力なのであって、それは、いまだ実現されてない実現すべきことを世界に送りだすことができる。
未来形であるが故に、前人未到の領域であるが故に、実数と虚数に分ければ、虚数に属する。そこには、フィクションとか物語とか、人間が事実を超えてクリエーティビティの力で真実に近づくルートが用意されている。それがなければ、世界は退屈で、みんな死んでしまう。
事実はマテリアルだが、物語には真実に近づく力がある。それを信じきる人を、クリエーティブ・パースンと呼ぶのだと思う。
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