「多様な価値を共有できている状態」に世界を近づける仕事
商業は多数決である。
よい広告かどうかもまた、基本、多数決である。「ひとりでも多くのカスタマーに愛されるブランドにする」などが、多くの場合目的に設定されるので。いわゆるヒットというのも多数決である。売上に貢献したというのもそうである。どういう種類のアウトプットであれ、多数決である。僕たちの仕事は人気商売であり、そこから、逃げられない。そして、逃げてはいけない。宿命的にそういう仕事なのだ、善し悪しは別にして。上品下品も別にして。質が量を伴ってこそ商業的意味を持つ。
「みんな」という概念は、本来、僕たちの仕事にとって、とてもとてもたいせつなものだ。それを低く設定してしまっては、まるで圧力団体のように、まるで衆愚と同義かのように設定してしまってはずいぶん不幸だ。
「みんな」には、もっと重要な意味がある。
みんなが同時に昼を持つことはできない。夜を持つこともできない。
みんなが同時に夏を持つことはできない。冬を持つこともできない。
地球(the globe)で生きていく人は、大切なものをシェアしなければ存在していくことができない。
気持ちの問題とかではなく、構造的に。
僕たちにとって、「みんな」という存在が重要ないちばんの理由はここにある。
「みんな」で、貴重なものを分けあわなければ、生きていけないのだ。
そう考えると、グローバル(global)であることの正確な意味が、なんとなくわかる。
地球上すべての事柄について、ひとつの基準によって優劣を決めることではなく、「多様な価値を共有できている状態」を指すのではないかと。
考えてみると、この「多様な価値を共有できている状態」とコミュニケーションの仕事とは、鶏卵関係にあるのではないか。蛇足的説明をすると、多様な価値を認める状態になければ、新しいアイデアなんて成立しないし、アイデアとコミュニケーションの技術がなければ、そもそも新しい多様な価値が共有されることなんか不可能だから。
この地球という星を、「多様な価値を共有できている状態」に近づけることは可能だと思う。
山本七平が『空気の研究』で書いているような、一種類の基準、一種類の空気で出来上がった一方向の意見に「みんな」が強圧的に乗っかるのとは、真逆の状態に。
Dove “Real beauty sketches” Nike “Find your greatness”などなど。
個人が本来持っている固有の価値を発見していき、そのプロセスをシェアするようなアイデアが現れてきている。いずれも「多様な価値を共有できている状態」に世界を近づけることに向かっていると思う。
当然すぎるほど当然のコンセンサス。
つまり、コモンセンスのようなものを、ていねいに再構築するだけで、地球というところは、ずいぶん生きやすくなるのではないだろうか。
僕たちは職業柄、その再構築に比較的貢献しやすい場所にいるのだ。
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