デザイン・広告に対する鋭い目
「デザインが美しい海外の雑誌が大好きで、学生時代からデザインの仕事に憧れていたの。でも専門の勉強はしていなかったから、まず紀伊國屋書店に就職して。本の装丁を手掛ける、ブックデザイナーになろうと思っていたのね」。
角野さんが早稲田大学を卒業した1950年代は、コピーライターやグラフィックデザイナーといった、デザインや広告にまつわる職分が確立されようとする時代でもあった。コピーライターになった大学時代の友人もいる。
そんな角野さんの記憶に最も色濃く残っている広告は、1950年代から60年代のサントリーの広告。「サントリーの広告は『モノを売るため』ではなく、『モノが持っている世界観を魅せる』ための上質な広告で、今見てもまったく色褪せていない」と評する。当時は「『人間』らしく やりたいナ トリスを飲んで『人間』らしく やりたいナ」「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」といったコピーで知られる開高健さん、山口瞳さんらが同社の宣伝部で活躍していた黄金時代だ。
「それから亀倉雄策さんや田中一光さんが手掛けた、1964年東京オリンピックの広告も好きでしたよ。グラフィックデザイナーの皆さんが表舞台に出るようになって、すごく活気づいていたのをよく覚えています。生前の亀倉さんにもお会いする機会があったけど、本当に素晴らしい方でした。そう考えると、最近のオリンピック関連のデザインはちょっと物足りないというか、イマイチねって思ってしまうの」と、ちょっぴり辛口なコメントも。
角野さんのデザインに対する造詣の深さは、のちに童話作品の挿絵を描くイラストレーターの選定、絵本作品の構成など、自身の本づくりのこだわりにもつながっている。