西田:寄付だけが目的だとしたら、極論すれば、ヤフーがただ寄付をすればいい、ということになってしまいます。でも、今はいくらあってもお金が足りない状況なのだから、寄付だけではなくみんなの関心が継続的に被災地に向けられることの方がより大事なんじゃないかと。
だから、3月11日、日本中のみんなが「3.11」を検索して、あの時を再び「自分ごと」に引き寄せること自体に意義があると思いました。みんなの「忘れてないよ」という声をヤフーが寄付という形に変換することで「風化防止」から「復興支援」に繋げようとしたんです。
並河:この3年間でみんなに調べられている震災、東北周りの検索ワードを教えてもらって、僕は、そのデータにはっとさせられたんです。
3.11当日は、混乱の中、「交通情報」や「安否確認」の言葉が錯綜し、その後、寄付やボランティア関連のワードが増えていく。そして、年が経つにつれて、だんだん減っていってしまっている。
あ、これって、ドキュメンタリーだと思ったんですよね。
実は、僕、ビッグデータに興味がなかったんです。
データっていうと血が通っていないものって思うじゃないですか?でも、めちゃくちゃ血が通っている。
風化が危惧されていて、でも、いま、一方的に「東北を応援しよう」と声を張り上げてもなかなか伝わらない。
だけど、このデータは、「ほら、あのとき、あなたが検索したでしょ」ということ。ここをスタート地点にすれば、「みんな、あのとき検索したじゃないか」というところからスタートできる。みんなのキャンペーンにできると思ったんです。
そこで、震災や東北に関わる検索ワードをヤフーから提供してもらい、検索数の多さでワードの大きさが時系列に変化するように視覚化したビッグデータムービーを、電通ソーシャル・デザイン・エンジン横森祐治、熊谷由紀、國府田知慧、そしてTYOとバスキュールのメンバーで制作しました。
西田:作っていただいたビッグデータムービーを見ると、文字しかないのに、すごく生々しい。
風化と言われるんだけど、でも実は、あの日、あのときを忘れている人なんて日本中にひとりもいない。
生々しさを忘れているんです。
あのビッグデータムービーには、一切写真がなく、文字だけ。
だからこそ、よみがえるんですよね。
並河:そうして今年の3.11当日を迎えたのですが、本当に多くの方に参加していただけました。
西田:もともと相当に高いハードルとして50万人と想定していたのですが、それを遥かにこえて、結果、約255万人の方に検索していただけました。
目標値として50万人×10円で500万円を上限にしていたのですが、寄付額も急遽増やして、約2550万円を寄付することを、その翌日に発表しました。
このキャンペーンが世の中の人たちにどう受け取ってもらえるか、実は前日まで、とても不安だったんです。
でも、3月11日当日、特設サイトのシェア数が40万人を超えたあたりで、吹っ切れました。あ、これは、自分たちの手を離れたと思ったんです。
僕らが落とした雨粒が、うねりをつくって、みんなの意思となって、ひとつの目的に向かっていくのを感じました。
並河:風化って言われていたけれど、こんなにも多くの人たちが心のどこかでは何かしたいって思っていたんだ、ということが、僕は単純にうれしかったです。
西田:今回、250万人のひとりひとりが「3.11」と打ち込んだんですよね。検索って、打ち込むという能動的な行為だから、自分ごとにできる。その検索結果を見て、実際に何か行動した人もいるだろうし、自分で寄付した人もいるかもしれない。
並河:今回のキャンペーンは、「検索」という行為、「知る」という行為が、大きなアクションになっていきました。
『Communication Shift』の中で、箭内道彦さんがおっしゃっていることなんですが、広告をつくっている人は、伝えることしかできないさびしさを抱えている、肉体性のある手応えをほしがっている、と。
僕はいままで、広告が、肉体性を持つために、伝えることに加えて、例えば汗を流して具体的な活動をも展開していく方法をいろいろ探っていましたが、でも、情報の世界でも、こんなにも肉体性があることができるんだと今回強く感じました。
西田:検索って、調べものだけじゃなくて、問いかけるようなときもあったり、自分と同じようにこういうこと考えている人いないかなと共感を探しているときもあったり、とても人間臭い行為。
とはいえ、僕はデータはやっぱりデータに過ぎないと思うんです。データは静かにそこにあるだけ。だからデータをどうノックするか、が大切。
上手にノックすれば、見えてくるものがあるけれど、ノックしないと、そこから出てこないものだと思います。
並河:ヤフーって、人間臭いですよね。デジタルなのに、血が通っている感じがします。
広告も、検索も、これから、「そこに、肉体を持った人間がいるんだ」という視点でとらえる、ということがますます大切になってくるような気がします。
そうしてそうすることで、広告も、検索も、「肉体性」を手に入れられるのではないか、と思うんです。