「リアルタイム」であること自体に価値がある
これらはほんの一例ですが、僕の周囲でもこういった動きが活発です。
こうした臨戦施策に対応するための体制づくりなどの苦労話をよく聞くのです。
つまり、多くの企業がこういったリアルタイムマーケティング、リアルタイムコミュニケーションへのトライアルを始めているということでしょう。
これらを見ていると、企業と生活者のコミュニケーションにおいて、「リアルタイムであること」という時間軸そのものに価値があることが分かります。
もはや覚えている人も少ないと思いますが、その昔、ブログが普及する前までは、ネットの情報は古いコンテンツから順番に表示されていました。
ニュースサイトや日記や掲示板なども、古い記事から時系列に読ませるものでした。
しかし、ブログの登場以降、新しい記事が一番上に表示されることが一般化されました。
その後のツイッターやフェイスブックでも、もはや説明不要ですが、新しい情報から順に表示されるのが当たり前です。
でも、こういう仕組みになるまでは、ネットを閲覧している人々の思考回路は、過去からの時系列で物事を整理していたように思います。
こういったテクノロジーの浸透で、人々の思考回路は新しいものから順にさかのぼっていくというふうに切り替わったわけです。
こういった歴史があって、今では情報コンテンツの内容そのものを上回るほど、「新しいものであること=鮮度の価値」が高まったのだと思います。
例えば、あなたがいくら熱心なプロ野球ファンだとしても、3日前の録画放送を見るくらいなら、今まさに行われているなでしこジャパンの試合を見る方が価値あるように感じるかもしれませんよね。
「鮮度そのものに価値がある」、リアルタイムマーケティングの狙いはここにあるわけです。
今後も企業からのコミュニケーションは、鮮度の価値を十分に認識し、より自然で打てば響くような対話が追求されていくでしょう。
しかし、リアルタイムとはいっても、全てがオレオの停電ツイートに代表される、リアクション芸のような瞬発コメントを目指すというものでもないでしょう。
それは人間同士のコミュニケーションでも同じです。
同じイベントごとをテーマにした対話でも、ツイッターやLINEでのチャットもあれば、メールや書面でじっくり読ませるやりとりもあります。
同じスーパーボウルで見てみると、その前年に話題になったクライスラーのCMがいい例でしょう。
ちょうど試合のハーフタイムにオンエアされたこのCMには、俳優のクリント・イーストウッドが登場し、「今、アメリカはハーフタイム。いよいよ後半戦=復活の時が来た」と国民を鼓舞するメッセージを、2分間にわたってじっくりと語りかけました。
これまで特に海外の広告では、コピーやナレーションなどの説明は少ないほど粋だという認識がありました。
しかし最近では、生活者とのロングエンゲージメント構築を図るため、「きちんと企業の哲学を伝えて生活者の共感を獲得しよう」と、語りを重視した表現も増えているようです。
クライスラーのCMは、同じイベントをテーマにしても、オレオとは違って事前に十分準備されたものですが、「この場限り」の鮮度を狙っているという意味では、リアルタイムの価値を認識したコミュニケーションとして成立しています。