話を「盛って」しまう人間の性
美姫を取り巻く人々の証言に見る“滑稽さ”も観る者を引きつける。同じエピソードを複数の証言者の視点から再現するシーンが度々出てくるが、まったく同じようには描かれてはいない。各人のちょっとした思い違いが誤解を生んでいたり、証言者の都合の良いように記憶がねじ曲げられていたり、単なる妄想であったり。「真実」としてメディアやSNSで語られてきた事象に様々なバイアスがかかっていたのだと紐解かれていく描写はユーモアにあふれ、本作の試写会場では一斉に笑いが起きていた。
中村監督は、そんな人間の姿をリアルに撮るための演出にこだわった。「美姫の高校時代の同級生や実家の近所の住民が、美姫についてワイドショー番組で証言する場面があるんです。ここでは役者の皆さんに話してほしい事実だけを伝えておいて、台詞は決めなかった。撮影時には僕がカメラの横からインタビュアー役として話をふっていったんですが、こういう場面でどんどん話を“盛って”しまうところに人間のリアリティがあるだろうな、と」。
さらに赤星は、その“盛られた”証言のうち核心ではないだろう部分を切り取って、面白おかしく編集してしまう。「報道番組の巧妙な再現VTRやナレーションは、インターネットがない時代からありましたよね。そういう事件報道を観るたびに、“この事件の裏には、報じられない何かがある”、“もしかしたら事件のきっかけは大げさな愛憎劇じゃなくて、笑っちゃうくらい些細なことだったんじゃないか”と感じていて。こういう事件の裏にある事実や感情を伝えるような映画をつくりたいと、10年以上前から考えていたんですね。そこで2012年に出会ったのが、湊かなえさんの原作だった」。
湊さんは映画化にあたり、こんなコメントを寄せている。「愚かな人たちを愛おしさを感じるほどに昇華させた先に『おもしろい物語』が待っているのだと、この映画を通じて知ることができました」。本作の面白さは犯人を解き明かすだけでなく、むき出しになった人間の愚かさを感じ取り、そして自分の中にもそういう愚かな部分が少なからず存在しているのではないか、と気付かされる点にあるのかもしれない。