カンヌに学ぶ、僕たちの未来を僕たちで拓く意思

今年もカンヌの時期がやってきました。
これが掲載されるのは、ちょうど開催中日になるでしょう。
僕が初めてカンヌに参加したのは2010年ですが、それまではこの業界にいながら、自分にはあまり関係のないことだと考えていました。

当時はまだ「カンヌ国際広告祭」という名称でした。
僕は勝手に、「業界関係者が自分たちの仕事を評価し合う、内輪だけで盛り上がっているイベント」で、「広告表現の芸術性のようなものを評価しているんだろう」と思い込んでいたのです。
つまり、企業活動の一環として機能するべき本来の広告の役割とは関係のないものだと考えていたわけです。

コミュニケーションの手段は、技術革新などで機能的な役割がなくなった時、「芸術」として存在するしかなくなると言います。
例えば、「絵」というものも、写真が発明されるまではコミュニケーションの手段として機能していました。

国王の肖像画、建築物や人体の仕組みなどを写実的に表現して、人々と情報を共有するためのものでした。
しかし、写真が発明された後は、ピカソやゴッホの「絵画」に代表されるように写実性とは別の価値で存続することになりました。
つまり芸術です。

いや、もしカンヌという場で「広告の芸術性」を評価し合うなどということがなされているのなら、広告というコミュニケーションの手段も役割を終えつつあるのではないか、と心配していたわけです。

しかし、これは杞憂に終わりました。
逆に、そこには業界の未来があったのです。
そこで評価されていたものは、2010年当時でいえば、ベストバイ社の「ツウェルプ・フォース」に代表される「これからのコミュニケーションの可能性」だったのです。

その翌年、50年以上掲げてきた「カンヌ国際広告祭」という名称は、「カンヌ国際クリエイティビティ・フェスティバル」に変更されました。
「広告」という看板を下ろしたそれは、カンヌからの「脱広告宣言」だったのだと思います。

その後3年に渡って、ナイキのウェアラブルデバイス「FUEL BAND」や、スウェーデン政府観光庁のツイッター数珠つなぎ「キュレーター・オブ・スウェーデン」、昨年はオーストラリアメトロ鉄道の事故防止アニメ「DUMB WAYS TO DIE」など、まさに広告を超越した施策が評価されています。

「FUEL BAND」(ナイキ)

「DUMB WAYS TO DIE」(オーストラリアメトロ鉄道)

当時は、「FUEL BAND」や「キュレーター・オブ・スウェーデン」などに対して、「え、これって広告?」と首を傾げる人も少なくありませんでした。
しかし、クリエイティビティ・フェスティバルとなった意味はここにあります。
これまでは広告に向けられていたクリエイティビティを、他の領域にも生かすべきということなのでしょう。
そのアイデアが、何らかの課題を解決し、より良い世の中に貢献するものであれば、もはやそれが広告かどうかなど議論する意味すらないわけです。

次ページ 「世の中のあらゆる場面でアイデアが求められている」に続く

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京井 良彦(電通 マーケティング・デザイン・センター プランニング・ディレクター)
京井 良彦(電通 マーケティング・デザイン・センター プランニング・ディレクター)

大手銀行でM&Aアドバイザーを経て、2001年電通入社。
主に、グローバルブランドやITサービス、スタートアップ企業を担当し、
ソーシャルメディア・デジタル領域を中心とするエンゲージメント・プランニングや、
データサイエンスに基づくグロースハックを手がける。
カンヌ国際クリエイティビティ・フェスティバルに毎年参加している。
著書に『ロングエンゲージメント』(あさ出版)、『つなげる広告』(アスキー新書)など。
東京都市大学非常勤講師。

京井 良彦(電通 マーケティング・デザイン・センター プランニング・ディレクター)

大手銀行でM&Aアドバイザーを経て、2001年電通入社。
主に、グローバルブランドやITサービス、スタートアップ企業を担当し、
ソーシャルメディア・デジタル領域を中心とするエンゲージメント・プランニングや、
データサイエンスに基づくグロースハックを手がける。
カンヌ国際クリエイティビティ・フェスティバルに毎年参加している。
著書に『ロングエンゲージメント』(あさ出版)、『つなげる広告』(アスキー新書)など。
東京都市大学非常勤講師。

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