前回の記事「スダラボ視点のカンヌ観察日記(4)ーー逆境という贈り物に、奇跡というインセンティブがつく。または、なぜ「スダラボ」はモチベーションが維持されているのか?」はこちら
カンヌとは「時間」である。または、なぜネットで見れるのにわざわざカンヌに来る必要があるのか?
博報堂 i-ディレクション局シニアクリエイティブディレクター
須田和博
カンヌも4日を過ぎ、今日いれて残すところ「あと3日」という後期日程に入った。早いものだ。
ここでの時間の流れ方は、日本にいる時とはまったく違い、1日の内容の「濃度」が異常に濃かったり、「語り」が異常に充実していたりする。その一方で、日本の広告界ではとっくに絶滅した「何もすることがない」どっちつかずの「空白の時間」がポッカリあったりする。
前に来た時に、ブログにこう書いた。
「カンヌとは、世界の広告業界の1週間の”夏期合宿”である」と。
なぜ、わざわざ広告を見たり、論じたりするだけのために「南仏のビーチリゾート」に大集合する必要があるのか?各々が自国の自社の会議室なり、デスクなりでYouTubeで見ればいいじゃないか。そうすれば、1人あたり100万円近くかかるコストも節約できるし、コッチのレストランに湯水のように落とす大金も節約できるじゃないか。
そういうワケには、いかない。
わざわざ「カンヌくんだり」までやって来て、わざわざ長期宿泊して、わざわざ浴びるように酒を飲み、わざわざカフェで「ああでもない、こうでもない、アレもコレもなんだかなぁ、アレとコレは超サイコー」と激論を交わし、わざわざ夜中にサッカー中継を見て、わざわざ直射日光の中を海沿いにダラダラ歩く必要がある。
カンヌとは「場所」であるという以上に、カンヌとは「時間」なのである。1年に1回、ここに集まって一喜一憂し、自分の思考を「棚卸し」する時間こそが肝心。強化合宿は、合宿することそのものに意味がある。
さて、昨夜の贈賞式で痛感したことは、ふたつ。
ひとつ。日本勢の「デザイン部門」での躍進が目立った。対照的に「サイバー部門」は「サウンド・オブ・ホンダ」以外、全滅だった。サイバー部門といえばニッポン!という時代は、過去のものになりつつあるのか?
ふたつ。贈賞式会場の満員の観客の「反応」は案件ごとに大きな違いがある。「マザーブック」と「ペンギンナビ」への鳴りやまない拍手。UKの「アムネスティ」のローソクが溶ける事例への大拍手。その顕著な反応の違いを目の当たりにして、やはり「答えは客にきけ」だなと思った。
ひとつめ、考察。
サイバー部門といえばニッポン!という時代は、過去のものになりつつあるのか?
カンヌでセミナーの一覧表を見たり、贈賞式の受賞作の社名表記を見たりしていると、栄枯盛衰の早さを痛感する。ギネス、ペプシ、ナイキ、トラクター、ワイデン、クリスピン、ドロガ、、と次から次へと新鮮なスターを生み出し続け、未来の「コンセプト・モデル」を提示し続け、ひさしくとどまりたるためしなし、、なのは資本主義の原理原則ゆえなのか?
日本は、この先、どう戦ったらいいのだろう?
南米のように、大胆で野蛮な実施が出来るわけでなく。
アジア新興国のように、なりふりかまわぬネゴシエーションが出来るわけでなく。
欧米の「カンヌ・メジャー」のように、物量と業界PRで張り倒すことも出来るわけでなく。
器用な手先の「クラフトワーク」と、禅宗思想に基づく「ミニマリズム」だけでは、「小さな勝利」すら難しくなっている。
「サイバー部門」の結果には、未来の「兆し」がはっきり現れていると思った。一言でいえば「デジタル・インタラクティブ」という「現在の当たり前」は、プロモ、ダイレクト、PR、メディアなど、すべての部門に「レイヤー」として拡散し、結果「サイバー部門」のグランプリ級は「現在のメジャー・キャンペーンはコレ!」というものだけが残った、という印象。つまり、ここが「新しいマス部門」なんだな、ということ。
「サイバー部門」は、いままでは「チャレンジャー領域」だった。未来の芽を発見する「新人スター誕生」コーナーだった。であればこそ、日本の小さくてエッヂなチームの登竜門となり、モチベーション装置となっていた。
チポテルや、ボルボや、ハッピーなど、今回のグランプリに見る「サイバーこそ、マス!」という物量感からすると、若い芽を伸ばすには「新しい緑の辺境」を見つけなきゃならない、のかもしれない。
ふたつめ。
満場の鳴りやまない拍手に見る、「もし世界が、ひとつのカンヌ贈賞式会場の観客だったら」的な考察。
これは連載1回目、2回目の繰り返しになるが、「世界でウケる」ということのキモのキモを、満場の観客の拍手で再び「実感」した。母子、赤ちゃん、おめでた。ペンギンかわいい。人権蹂躙ビフォー・アフター。など、言葉は関係なく、目で見て一発でわかる「世界共通の鉄板ネタ」は、全員一致で拍手喝采なんだな、ということ。
問題は、その鉄板ネタを、世界最高峰のハイコンテクスト文化圏のひとつである、我らが「日本」の産業界・広告界でどうやって「摘出」したらいいのか?ということ。
いっそ、この「サーキット」で戦わないという選択肢もあるのか?それは、ないのか?
まったく違う「ゲームのルール」を極東の島国で打ち立てるという作戦もあるのか?
それは、くりかえす歴史的な「自滅の道」なのか?ならば「逆転の戦略」は?
はてさて。。
まあ、そんなことを、牡蠣とかムール貝とか食べながら、ビールとかロゼとか飲みながら、炎天下の昼ひなかから延々と語り続けることが、「超・効率的ワークデザイン」を束の間のがれて、わざわざ南仏まで来て「カンヌ時間」を持つことの「最大の意義」だったりするので、日本で留守番役をしながらFacebookを見て、「あいつら、楽しそうで、なんだかなー」とイラ立ってる皆さま、どうか大目に見てやってくださいませ。あと2-3日の辛抱ですので。
(つづく)
スダラボ視点のカンヌ観察日記(6)ーーYouTube時代の映画祭。または、スマホ時代のビッグシアターとは?