前回の記事「スダラボ視点のカンヌ観察日記(7)ーー家宝は寝てまて。または、スダラボ視点とは何か?」はこちら
さよなライオン、また来年。または、ライオンは何を食べて生きているか?
6月22日(日)朝
博報堂 i-ディレクション局シニアクリエイティブディレクター
須田和博
けだるい日曜の朝が来た。
昨夜をもってカンヌライオンズ2014は、すべて終了。ヒトによっては明け方まで飲んだくれて宿に帰り、ニース行きのバスが出るまでの30分間でパッキングしなくてはならず、「あー、ライオンズ・デイリーがカバンに入らないー!」と焦りまくった方も、いたことだろう。
先に結果を明かすと、我らがスダラボの「ライスコード」は、昨夜の贈賞発表で「ブランデッド・コンテンツ&エンターテイメント部門」のブロンズをさらに1ついただいた。快挙である。これで滞在中の成果は、トロフィー合計5つとなった。金2、銀1、銅2である。これも、かなり快挙だろう。
ちなみに、先にお詫びしておくと、昨日のタイトルと本文で「かほうは寝て待て」の「かほう」を「家宝」と書いていたが、これは日本語の慣用句では「果報」が正しい。意味を引くと「運がよいこと、よい運を授かって幸福であること」とあるから、まさに「果報者」とは我々のことである。 送信した後で誤変換に気づいたが、火曜の時点ですでに我々は「果報」を得ていたし、「家宝を待ってる感じ」が昨日の朝の気分に合致していたので、直さずにそのまま公開した。
しかし、昨夜のハイライトであり、日本にもたらされた最大の「家宝」は、なんと言っても「サウンド・オブ・ホンダ」の「チタニウム・グランプリ」受賞だったろう。これは、本当に、スゴい。「新しい広告を発明した」と世界最高峰に認めてもらえたのだから。
スダラボの須田は、グランド・アウディの高い席の暗がりで、またも深く打ちのめされていた。「・・・チクショー、くやしいなぁ・・・」と。
カンヌに来る時に、連載のタイトル案としていくつか切り口を書き出していた時に、ふと、
「ライオンは何を食べて生きているか?」
という言葉が浮かんできた。これはもちろん比喩であり「ライオンが食べているのは、シマウマ、ヌー、インパラ、水牛などです」という答えは、不必要なボケである。
カンヌライオンズというものが、なぜ長年に渡り世界の広告界の羨望を集め続け、人々の物理的来訪も集め続けているのか?と問い、カンヌライオンズの成長の源泉を「ライオンが食べているもの」と例えて、考察してみようと考えたものだ。その時点で仮定していた答えは、「ライオンは人々のクリエイティビティを食べて生きている」というものだった。
コマーシャル・フィルムの時代。そこに凝らされた様々な超絶なアイデアと仕上げによる、驚きのクリエイティブの数々。これを褒め称え名誉を与える装置=場を作ることで、それを見たい、もしくは褒め称えられたいという人々を南仏のビーチリゾート=カンヌに集めることに成功した。
数年前には「カンヌ・フェスティバル・オブ・クリエイティビティ」と名前を変えた。文字通り直訳すれば「クリエイティブ祭り!」である(たしかに「祭り」としかいいようのないものである。だから、最後に「お約束」の花火がドーン・ドーンと打ち上がった)。
フィルムであるとか、いままでの広告媒体であるとかの「出目の既成概念」をとっぱらい、「マーケティング」におけるクリエイティブや、もっと広く「コミュニケーション」におけるクリエイティブの冴えた事例を見いだして褒め称えよう!と、目標や存在理由が再設定された。
当時、「カンヌ国際広告祭」から「広告」の2文字が消えたことに、世界中の広告業界人は衝撃を受けた。それは「広告の時代」が終わったからだ!と喧伝された。実際、そんなことはなかったのは、その後の展開や今年の成果などを見れば明らかだろう。
「広告」は狭い特定の媒体の中におさまって安閑としているものではなく、コミュニケーションにおけるすべてのアイデアを対象とする「クリエイティブ産業」になっていくだろう。そういう現実に起きている「シフト」を、より先取りして掲げていこうとする態度が
カンヌライオンズには明瞭に現れている。
さて「ライオンは何を食べて生きているか?」への答えは、滞在中の様々な体験、とくに贈賞式の「客席での体験」で当初の想定から変わった。
ライオンが食べているのは、人々の「ジェラシー」である。全参加者の「ジェラシー」を食って成長してるのが、この齢60歳のカンヌ・ライオンなのである。毎年、カンヌにやって来て他者のもらう素晴らしい賞を見て「チクショー!」と思う。「なにくそ!」と歯ぎしりし、「来年みてろよ!」と心に決める。
そうやって、また来年、また来年と、嫉妬による「次なるチャレンジ魂」に火をつけ続け、世代交代や栄枯盛衰を生みだし、乗り切って、カンヌという「賭場」は熱を失わないように、ずっと運営されてきた。
「ありがたみ」という幻を皆が信じ続け、そこに挑戦し続ける限り「アワードの価値」は失われない。逆にそれがなくなり、皆が興味を失い、がんばって応募もせず、カンヌにも来ず、サイトも見ず、受賞結果について語り合いもしなければ、蜘蛛の子を散らすように人々は去り、アワードの価値そのものが枯れて消える。
だからカンヌは運営側も挑戦し続けなければならない。真に世界中の人々(ユーザー)が欲し続けている「アイデア」や、本当に興味を惹くコミュニケーションの「面白さ」や、これからの社会を善くしていくようななんらかの「ヤリクチ」は、いまどこにあって、次の芽はどこに「めばえ」はじめているのか?うまずたゆまず、休まずに探し続ける必要がある。
次なる「クリエイティブの可能性」を掘り続け、次なる人々の「ジェラシー」を燃え上がらせ続け、そうやってはじめて「ライオン」は生き続けるのである。
今年、カンヌに「行く!」と決めて、やって来て本当に良かった。もし行くのを諦めていたら、いま感じている「来年への欲動」もなかっただろう。逆境もギフト、嫉妬もギフト。そのためのカンヌという「場」であり、贈賞という「システム」だ。
来年もライオンに「ジェラシー」を食われに来なければならない。
そのためにこそ、ユーはわざわざカンヌまで来たのだ。
以上です。
長いような短いような、1週間の集中連載をご愛読いただきありがとうございました。思いつきで始めた、旅費稼ぎの原稿執筆でしたが、結果的に長年思っていたことをたくさん棚卸しできて、自分が一番得したような気持ちです。
カンヌは日常から切り離された「時間」なので、本質的なことを考えるのに適しています。2006年に初めてカンヌに来た時に、その「時間」をきっかけにブログを書き始めました。最初のエントリーにその3年後の著書と同じことを書いていたことに驚きます。その後の自分に様々な出会いをもたらしてくれたこのブログも今年のカンヌ来訪で8周年。のべ1万投稿を超えました。今回の「カンヌ日記」もなにかの「きっかけ」となって、ここからスタートするご縁や展開があれば、さらにありがたいです。
スダラボも、がんばります。
ひきつづき、応援よろしくお願いいたします。
(おわり)