日本流、米国でも貫く
トヨタは1980年代半ばに初めてアメリカで生産を開始しました。つまり創業して50年ほどは、まるでドメスティックな会社だったということ。そこから一気に海外に広げていきました。
アメリカに生産拠点を置いた狙いは、貿易摩擦の解決策とすることでした。84年にトヨタ100%出資の工場の第一号をケンタッキー州に開設し、そこに私が送りこまれたのです。生産開始は2年後でした。日本人を約60人連れて行き、現地で3000人ほど雇ってスタートしました。行く前には日本の記者から「アメリカでトヨタの生産方式が通用するのか」とさんざん言われました。
現地ではまず受け入れられることが必要です。郡長や市長と頻繁にミーティングをするようにしたほか、日本人は固まって住まないようにし、積極的にボランティアをするなど地元に溶け込む努力をしました。
従業員とのコミュニケーションも重視し、人を大切にする日本流のやり方を貫きました。例えば社員教育。アメリカでは自分のお金や時間を使うのが当たり前ですが、会社の負担でいろいろなことを教育します。これは非常に評判が良かった。上司に聞きにくいことを人事に直接相談できる仕組みや表彰制度なども整えました。
トヨタの生産方式も徐々に浸透していきました。ところが、不具合があっても誰もラインを止めません。アメリカ人のマネージャーに聞くと、「こちらの会社は、コンベアーのラインを止めたら即クビになるんだ」と言うのです。
私は当時現地法人の社長でしたが、「止めてくれ」と毎日のように頼んだほどです。そして止まると、ラインに走って行って「サンキュー!」と握手をしました。こうしたことの積み重ねで、従業員の品質に対する意識は向上していきました。地域に溶け込み、従業員の信頼を得たことで、州での評判が上がりシェアも伸びていくことにつながったと考えています。(談)