出会うチカラ

前回のコラム「月を使う?それって…」

こんにちは、ドリル細川直哉です。「広告、月へ行く。」コラムの第3回目です。

今日は、民間の力だけで月面を目指す、そんなミッションインポッシブルなプロジェクトが実現するまでの過程のお話をします。言いかえると、宇宙を核にした企業コラボの可能性、みたいなお話です。

そもそも僕らが宇宙を目指すことにしたのは、シンガポールの場末のスナックでの出会いが始まりでした。

ドリルシンガポールの設立のためにちょくちょくシンガポールに通っていた僕は、同じく電通を退社した同期の宮野君がシンガポールで自分の会社を立ち上げたお祝いパーティーに出席していました。その夜のこと、2次会に流れて飲んでいると、

「細川さん、宇宙ゴミって知ってます?」

そう僕に声をかけてきたのがASTROSCALE岡田光信さんでした。岡田さんは官僚を辞めシンガポールで宇宙関連事業の会社を起業されたナイスガイ。

地球の周りにはゴミがぎゅんぎゅん飛び回っていて、ぶつかったら人工衛星も木っ端みじんになる、くらいは僕も知っていたので、その話ですよね?と答えたら、岡田さんが

「うわっ、日本人で宇宙ゴミのこと詳しい人がいた!」

プロジェクト始まりのきっかけとなった、シンガポールのスナックにて。左がASTROSCALE岡田光信さん。右が筆者。

って少年のようなリアクションをされて、そこから宇宙の話で盛り上がりました。(2013年はじめ、まだ映画『ゼログラビティ』すら公開されていない頃の話です)

岡田さんいわく、

まだまだ宇宙業界は啓蒙が足りない。一部の専門家だけが回してるだけで一般の企業や人々が蚊帳の外にされている。もっと一般の人々を巻き込み、宇宙産業を盛り上げていくために、啓蒙活動をしなきゃいけないときが来ているんです!と。

その瞬間、ああ、その啓蒙活動は僕がやろう!と心に決めたんですね。

「宇宙を特別じゃない場所へ」

その先陣をきってやろうと思ったのです。

とはいえ、まだその頃の僕はまだ普通の人よりちょっと宇宙に詳しいくらいの、プロにはなりきれてないセミプロ?みたいなものだったので、まずは宇宙の勉強から始めました。

次ページ 「岡田さんと僕らの宇宙談義は」へ続く

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細川 直哉(Drill チーフ・クリエーティブ・オフィサー)
細川 直哉(Drill チーフ・クリエーティブ・オフィサー)

1970年生まれ。早稲田大学大学院にて建築意匠を専攻。1995年、電通入社。

クリエーティブ局、OOH局、プロモーション事業局を兼務し、「消費者参加型」キャンペーンを数多く手がける。
2011年にドリルのエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターに就任。与えられた時間と予算の中で最も劇的にクライアントニーズを解決するというミッションを実行するために組織された少数精鋭のソリューション集団を率いている。

CLIO、ADFEST、Spikes Asiaでのグランプリをはじめ、Cannes Lion、ニューヨークADC GOLDなど数多くの国内外の広告賞を受賞。Cannes Lionほか数多くの海外広告賞の審査員を務める。

一級建築士でもあり、自ら建築デザイン、空間プロデュースも手がける。

細川 直哉(Drill チーフ・クリエーティブ・オフィサー)

1970年生まれ。早稲田大学大学院にて建築意匠を専攻。1995年、電通入社。

クリエーティブ局、OOH局、プロモーション事業局を兼務し、「消費者参加型」キャンペーンを数多く手がける。
2011年にドリルのエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターに就任。与えられた時間と予算の中で最も劇的にクライアントニーズを解決するというミッションを実行するために組織された少数精鋭のソリューション集団を率いている。

CLIO、ADFEST、Spikes Asiaでのグランプリをはじめ、Cannes Lion、ニューヨークADC GOLDなど数多くの国内外の広告賞を受賞。Cannes Lionほか数多くの海外広告賞の審査員を務める。

一級建築士でもあり、自ら建築デザイン、空間プロデュースも手がける。

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