鈴木健(ニューバランス ジャパン マーケティング部長)
クリステンセンの「破壊的イノベーション」
ディスラプション(disruption)いう言葉は、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」に登場するイノベーションのひとつ、disruptive Innovationで有名ですが、日本語ではなぜか、「破壊的イノベーション」として知られています。ディスラプションは必ずしも「壊す」という意味ではないのですが、この言葉のインパクトも含めて「破壊的」というのは人々を脅すような意味合いを含んでいます。それもそのはず、クリステンセンが唱えたジレンマというのは、その業界でトップを走るような優秀な企業であればあるほど、この「破壊的なイノベーション」を生み出しにくく、また往々にしてそのようなディスラプションを生み出す「ハカイダー」に市場を奪われてしまうというのですから。
デジタル業界にはこの「ハカイダー」だらけ
コンサルティング会社のアクセンチュアによれば、デジタルによる事業再編をしない限りは、業界の「ハカイダー」たちにたちまち苦境に立たされることが近い将来予想されています。また、GoogleやAmazonやFacebookなど現在のデジタル企業はすべてこの手のディスラプター(破壊者)であり、彼らが生み出したデジタルを中心にしたビジネスモデルによって、業界の競争のフレームが旧来の市場の境界を越えて作用することが予想されるといわれています。すでにAmazonはネットの本屋ではなく、デジタルテクノロジーをコア競争力に据えた様々な業界の「破壊者」となっています。
このことは決して対岸の火事ではなく、単にマーケティングに限らず、デジタルテクノロジーによるイノベーションは、現在業界が依存しているビジネスモデル基盤を壊してしまう可能性があるということです。アクセンチュアは特にこのディスラプションが起こりやすいのが、流通や金融等の直接消費者にサービスを提供している業界や、規制に長い間守られていた業界であると主張しています。
マーケティングにおけるディスラプション
クリステンセンの一方で、広告界でもこのディスラプションは有名な本のタイトルにもなっています。オムニコムグループのエージェンシー、TBWAワールドワイドの会長であるジャン=マリー・ドリューがヨーロッパでBDDPを経営していた際に彼が掲げていたマーケティング哲学が、このディスラプションでした。彼はBDDPの優位性としてこのディスラプションをもとにしたアイデアを広告主にもたらすことを組織的に実行していました。そのプランニングプロセスはシンプルで、広告主が所属するカテゴリーや業界のコンベンション(現状の慣習、常識)を記述することからはじめ、ブランドが目標とするビジョン(目指すべき未来)を作り出したうえで、現状を覆すためのディスラプションをアイデアとして提示するという方法論です。
デジタルマーケティングのジレンマ
このようなジャン=マリー・ドリューの記述をみると、実はクリステンセンがいう「破壊的」という意味のディスラプションとは、単に新しいやり方というよりは、現状に縛られない「非連続的な変革」のことを指していることがわかります。時に破壊的イノベーションは、より低価格であるとか、高度な技術を必要としない、などの意味合いを含むことがありますが、必ずしもそうではありません。業界のトップ企業がディスラプションに弱いのは、クリステンセンが指摘するように、業界の「コンベンション」に依存しているからであり、それをわざわざ捨ててまで、新しいビジネスモデルに切り替えることが難しいからです。そしてこのことはデジタルマーケティングを主流に移行できない優良企業のジレンマと同様で、マーケティングが旧来のメディアや組織やプロセスに依存していれば依存しているほど、デジタルを主体とした破壊者のように動くことができなくなります。米国の企業の一部はいち早くこれに対して、従来のマーケティング組織と切り離した「ラボ(実験室)」を立ち上げることで、その変化に対応しようとしています。日本でも今後「ハカイダー」を自ら生み出す企業は増えていくかもしれません。