広告も価値ある情報
僕が長年手がけてきたテレビCMは、自分のブランドのCMの前後に流れる他社のコマーシャルと競争しています。
ところが、Facebookにおける企業の広告は、さきほどのニュースフィードという場所に出てきます。他社の広告と広告の間ではなく、そのFacebookユーザーの友達が居酒屋で盛り上がっている写真や、週末のハイキングの様子や、最近読んだ本の感想、といった投稿の間に表示されるのです。
そこで重要になってくるのが「その広告はこのユーザーにとって、レレバンシー(関係性)のある情報か否か」ということです。呼び込みの声の大きさの競争ではないのです。声高なだけの広告は、哀れにもユーザーに「x」 ボタンのクリックという駄目だしを受けてしまいます。
たまに「他の広告媒体で効果の高いクリエイティブが、必ずしもFacebookでは効果が出ない」と広告会社の人から言われるのですが、そうした際には、この「レレバンシーの重要性」をお話しています。
つまりFacebookユーザーにとっては、それが自分の友達からの情報なのか、企業からの情報なのか、は実は重要ではなく、自分にとってレレバンシーのある情報かどうか、という一点が大切なのだ、ということです。広告でも、きちんとレレバンシーを持てば、それはそのユーザーにとっての「価値あるニュース」になりうるのです。
もし現代に平賀源内がいたら
企業が生活者に届けたい広告メッセージを、いかに「レレバンシーを持つ、価値ある情報」に変換することができるか?
これは、単にFacebook上で効果を持つコミュニケーションという話に限らず、流通する情報の量が普通の人間の脳が咀嚼できる数をはるかに超えてしまっている現代において、あらゆる場面に共通する課題だと思います。
この課題を解決するためには、商品に内在する物語を生活者の物語に昇華させるクリエイティビティが必要となってきます。
ちょうど、江戸時代、近所の鰻屋の主人から夏枯れで商売がさっぱりだと相談を受け、「暑さで食が細る夏こそ滋養のつくウナギを」という物語をつくった平賀源内のようなクリエーターです。
平賀源内のつくったレレバンシーを持つ物語は、平成の世に暮らす我々にも影響を及ぼしている事実は説明するまでもないでしょう。今年の夏も多くの鰻重の写真を自分のニュースフィードで目撃しました。本当は冬のウナギの方が脂がのって美味しいのに。
今回の連載では「現代の平賀源内に会いにいく」と題して、生活者にとってレレバンシーを持つ物語を開発している人たちに僕が会いにいき、その技術や思想を聞き出してきます。情報過多で広告メッセージが届きづらくなっているとお嘆きの方々、どうぞご期待くださいませ。
「博報堂」に関連する記事はこちら
「Facebook」に関連する記事はこちら