【前回記事】「ネット動画で大事なのは、クオリティであり、思いであり、現実へのコミットメントである。」はこちら
映像がコミュニケーションをどう変えていくかを考えるこの連載、今回はその制作について書きたいと思います。
ネット動画はいま注目されているし、面白い作品が出てきています。それに伴い、これまでとはちがう新しい作り手が注目されていますね。
新しい人たちが登場するのはいいことだし期待しています。例えば、『雪道コワイ』で名をあげた眞鍋海里さんは、その後も面白い作品を続けて作ることに成功しています。いわゆる一発屋に終わらないためのクオリティの維持力、そしてこの企画ならいけるという読みをする洞察力は本物だなと思います。そんな逸材が、九州のBBDO J WESTという、失礼ながら“周縁”からさっそうと登場するのも、ネット動画が成長分野である証しでしょう。変化は周縁から起こるものだからです。
一方で、ネット動画専門を標榜する制作会社も出てきました。これも面白いし期待したくなります。制作会社が出てくることは、この分野がきちんとした事業分野になり、作り手たちが育っていく場になることでもあるからです。
でも気になるのは、“安さ”を打ち出す会社が目につくこと。
いやもちろん、ビジネスですから価格が低い方が頼みやすいでしょうし、そんういうニーズを受けて安さを打ち出すのも有りだとは思います。でも安さを大きな声で言い過ぎると、損をする上にこの分野全体にもネガティブな影響をもたらしかねません。安いってことは、打ち出すにしても3番目くらい。あるいは、そんなことそぶりにも見せないけど実際に依頼すると思うより安かった、くらいなほうが得なんじゃないでしょうか。自分にとってもみんなにとっても。
そして安さを不用意に打ち出す制作会社ほど、制作実績を見ると「あー、こんなもんかー」と感じてしまう。面白くないし映像のクオリティも・・・そんなことが多いです。面白くもない映像を安く作って、何が面白いのかなあ、などと余計なお世話を考えてしまいます。
とは言え、ネット動画作ります、平均単価3000万円です、だなんて通用しません。映像制作ってお金を掛けはじめるとキリがないわけですが、とくにネット動画の場合、お高いこと言ってても成り立たないでしょう。