電通にはホイチョイ・プロダクションズのスパイがいる!?
澤本:馬場さんはラジオの先輩ですもんね。
馬場:そうですね。この局(TOKYO FM)でかれこれ24年ぐらいずっとやらせていただいています。
権八:それは構成ですか? それともご出演をずっと?
馬場:出演は名前を出さすに話の聞き手として出ていたことが何度もありますが、ぼくは声がデカいうえに早口なので、「アイツが出てくると何を言っているかわからない」とか、結構メールの時代になってから苦情がきましてね。
一同:えぇー。
馬場:やっぱり、小山薫堂とか秋元康ほどには喋りが伝わらないなということを悟って。それからはなるべく出ないように。今日はたまたま澤本さんの番組なのでお邪魔して、音を汚していますけど。なるべく出ないようにしていますよ。
澤本:最初に出たのはアヴァンティ(編集部注:『サントリー・サタデー・ウェイティングバー AVANTI』。イタリアンレストランAVANTIを舞台に、常連客の紳士やバーテンダーと一緒に客(ゲスト)同士の会話に聞き耳を立てる仕立てのトーク番組)ですか?
馬場:そうです。あれは長くやって、週に2人ぐらいの話を聞いていたから、21年間で年間100人、合計2100人ぐらいのお話を聞いていましたよ。
澤本:いろいろな人に話を聞いているから、そういう話もたくさん知っているわけで。
馬場:それでメモるんだよね。たとえば、中村さんはWeb野郎だとか。いつか何かの役に立つかなと。「あの人はWeb野郎なんだよ」とか言えるわけですよ、どこかで。
権八:『気まぐれコンセプト』なんかも情報源はご自分で調べている?
馬場:もちろん調べたり、話を聞いたり、仲間からとか。定期的に電通さんとか博報堂さんの若い人達と会って、「最近、面白いことない?」みたいなことを聞いてバーッと書くみたいなことはやっていますね。
権八:一説によると、電通にもホイチョイのスパイがいるとか笑?
馬場:スパイはいないですけど笑。定期的に会って、「最近、面白いことない?」と、お話を聞くことは多いですね。ありがたいことです。
澤本:『気まぐれコンセプト』ができた経緯というのもそんな感じだったんですか? もともと最初に連載をはじめたきっかけというのは?
馬場:当時はちょうどコピーライターブームだったんですよ。まだ、糸井重里さんが週刊文春で「萬流コピー塾」(編集部注:毎回テーマを発表して読者からコピーを募り、選評と共に発表する連載)をする前でしたけど、“コンセプト”という言葉が世の中で普通に使われるようになりかけていたときで。ぼくが広告業界にいたときにお世話になっていた方から「4コマ漫画はビジネスになるよ」と言われたんです。
中村:なるほど。
馬場:CMをつくるときに“コンテライター”っているじゃないですか。コンテライターは結構良いお金を稼ぐけど、自由に使える時間もあって、もちろん絵を描ける。その人に「コンテライターに4コマを描かせて、アイデアを出したらいけると思うんだよね」と言われて、一度集められたんです。
権八:面白いですねぇ、それは。
馬場:そこに澤本さんの先輩の本田亮さんがいましたね。1年間、月に1回集まって本田さんとアイデアを出したりしていました。そのときに子どもの頃から一緒に絵を描いていて、ぼくより絵がずっと上手な松田のことを思い出して「やってみない?」と誘ったんです。
澤本:そこからスタートしたんですね。
馬場:「おれは広告業界にいるから、業界ネタつくるからさ」と言って。それで完成したものを小学館さんに持ち込んで。当時、スピリッツの編集長だった白井(勝也)さんという方が、それこそ「くだらないなぁ」と言ってくださって。それでも、見てもらってから載るまでに準備期間が1年間ぐらいあったかな。何度も描いては持って行って。
澤本:載った後、すぐに問題になったと言っていましたよね?