広告クリエイターは、アワードを獲りたい生き物だ。
アワードは、「優秀な仕事ができている」というひとつの大きなバロメーターである。
広告アイデアは、明解な答えが存在しないので、優劣を競い、批評しあう軸が必要だ。
もちろん、最終目標は「広告アイデアのおかげで商品がメチャクチャ売れる」ことなのだが、売れ行きが左右されるような、大きな仕事に抜擢されるためにも、普段のしごとで目立つことが必要になる。
この登竜門としても、アワードは有効だ。
逆に、アワードを全く獲っていないがこいつは超優秀だ、と満場一致で太鼓判を押される人は、なかなか少ないのではないだろうか?
つまり、アワードはあるていど承認欲求と実益を兼ねた存在だから、潔癖症にならず狙うべき、とぼくは思っている。とくに若いみなさんは、狙ったほうが健全かなと思う。
しかし、期末テスト前に「オレぜんぜん勉強してこなかったやー」とうそぶく生徒がデファクトスタンダードであるように、私アワードギンギンに狙ってますと、言ってはいけない。オトナのルールです。
日本国内のアワードより、よりハードルの高い国際アワードのほうが一般的に価値が高いとされている。
で、「獲りやすいもの」にもいくつかルールがある。
vol.2で書いた「驚きと納得」のタグライン型などもそのひとつだが、
もっとも大事なスキルのひとつにグローバルインサイトの壁を超えるというものがある。
グローバルインサイトとは、ざっくり言うと世界統一あるあるだ。
たとえば、タンスの角に足の小指をぶつけて、
「くうおおおおおおちくしょおおおお………!!!!!」
と、ベジータばりに虚空に向かって叫ぶ経験は、日本人には99.7%は経験していると思うが、欧米ではかなりレアではなかろうか。
あいつら家の中でクツはいてるから。
よって「タンスの角に足の小指悶絶あるある」はグローバルインサイトではない。
いっぽう、「バナナの皮を踏んで滑る」は、どうやら、グローバルインサイトである。
アワードでウケる方程式にのっとっていて、
「コレきっとイケるんじゃないかな」と思っていたコンテンツが、
海外でぜーんぜんとれなかった、ということがある。
たとえば、これだ。
ちょっと、何度かノックしてみてほしい。
当時制作チームでは爆笑しながら作っては見せ合って「これはイケるかもね」などと話していた。
ところが、国内では確かに金賞とかいただけたりしたのだが、
海外ではサッパリだった。
なぜか?
聡明な諸兄なら、もうお分かりであろう。
欧米ではトイレのドアをノックしないのである。
いや、正確にはするらしいが、ノックをするということは、「いい加減早く出ろこの野郎」と警告をしているほどの緊急状態、たとえば、件の金色に輝く物体が、もう半ばコンニチワしている状態、いわば、おでん屋ののれんをかき上げ「空いてる?」「へいらっしゃい」状態だったときに、はじめて発動される、レアな行為なのだ。