ネットで話題の「サラリーマン山崎シゲル」——お笑い芸人が1コマ漫画を描き始めたワケ

「売れる」ために、絵を再開

もう一度、ちゃんと絵を描くようになったきっかけは、10年来の相方とコンビを解散して、吉本興業を辞めたこと。お笑い自体、辞めようかと思っていたのですが、折しもそのタイミングで、後に一緒にお笑いトリオを組むことになる芸人仲間から、「一緒にやらへん?辞めるんやったら、もったいないし」と誘われて。そんなふうに思ってくれる人がいるのが純粋に嬉しくて、もう少しお笑いを続けてみることにしました。絵を描くことを再開したのは、2012年にトリオを結成し、大阪から東京に出てきてからのことです。目的は、簡単に言うと「売れる」ため。遅まきながら始めたTwitterで、ライブの告知などにイラストを添えて投稿するようになったのが最初でした。

というのも、芸歴10年以上になっても、僕はどうやったら売れるのかが分からなかった。バラエティ番組ではどう振る舞ったらいいとか、ずっと笑ったり騒がしくしなきゃいけないとか、そういうことを考えるのが昔から本当に辛くて。それは芸人としてどうなの、という話なんですが…。かと言って、それ以外に芸人として成功する方法が思いつくわけでもなかった。そこで、メンバーの同級生だった、お笑いコンビ・ピースの又吉直樹さんに相談したんです。「好きなものや特技があるなら、それをめちゃくちゃ勉強して、誰よりも詳しくなったほうがいい」「特技はいくつあってもいい。鍛えておいたほうがいい」――そうアドバイスされました。

得意なものと言ったら、僕には絵くらいしかありません。古着やバイク、音楽など、他にも好きなものはいろいろあったのですが、これらを極めるにはお金がかかります。そのためにアルバイトをする時間があったら、一刻も早く芸人として成功したかったので、紙とペンがあれば描ける絵に行き着くのは必然でした。絵を描いては、それを写真に撮って投稿。少しでも人目に触れて、「このトリオ、面白そうだな」と思ってもらいたいという一心でした。

この情報発信は、発想力を鍛えるトレーニングの場としても役立っていました。「世の中にこういうものがあれば面白いな」と思う発明品を図解したり、何の役にも立たない無駄な発明品を考えてイラスト化したり……大喜利的なものの考え方を訓練するのにちょうど良かったんです。番組収録の現場でひな壇から立てず、ふざけたことを考えることはできても実際にふざけることができない僕は、発想で勝負するしかありませんでした。大阪時代は、接客業のアルバイトをしたりと、できないことを必死に克服しようともがいていましたが、もう不得意な部分を鍛えている場合ではない。得意な部分を磨き上げて、早く売れたい。東京に来てからは、できないことを「切り捨てる」作業のほうが多かったですね。面白いことを考えるのは大好きで、それが自分自身、唯一誇れる部分だと思っていましたから、徹底的に鍛えてやろうという発想に変わったんです。

次ページ 「笑わせたい=喜ばせたい」へ続く

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