【前回コラム】「買う5秒前、その“逆張り”に背中を押されるワタシ」はこちら
このコラムもいよいよ最終回。これまで人の“買う5秒前”に迫り、何が彼らの背中を押したのか?——の正体に迫ってきた。
それは、時に「本能」だったり、「SNS」だったり、あるいは「シンプル」や「ボーダレス」や「逆張り」だったり——と色々あったわけだけど、今回、最後に取り上げるのは「人間力」。
そう、人間力。
マニュアルとか計算とかを超越した、人間本来の持つ求心力とでも言おうか。
その説明に入る前に、ここらで現代の消費シーンが抱える問題点について改めて整理したいと思う。
ざっくり言えば、今、作り手や売り手が最も危惧しているのは、かつて存在した“巨大な中間ゾーン”の消失である。
中間ゾーンって?
市場における一握りの勝ち組と、その他大勢の負け組やニッチの間を埋める、いわば中ヒットの商品群のこと。かつてはその中間ゾーンが市場の大半を占めていたが、今や空洞化の危機にある。
例えば、テレビの連ドラ。90年代に百花繚乱のごとく様々な名作が生まれ、若者たちの支持を集めた魅力的な市場が、今や低視聴率に喘いでいる。内容も医療モノや刑事モノばかり。一方で、時に『半沢直樹』みたいな視聴率40%を超えるお化けドラマが現れる。要するに、今や多種多様な中ヒットのドラマがめっきり減ったのだ。
その背景には、自分の目で判断するより、勝ち馬に乗りたがる最近の視聴者心理がある。また、作り手も勝ち馬に乗りたがるから似たような企画であふれる。
結果、どれもそこそこ面白いものの、市場から多様性が消え、客離れが進み、新陳代謝も進まず、気が付けば市場のパイそのものが縮小するという悪循環に——。
そう、これが“巨大な中間ゾーン”の消失がもたらす市場の危機である。
いや、何も連ドラに限らない。クルマやスマホ、缶ビールといった商品市場から、コンビニやスーパー、家具店といった流通市場、映画や出版、音楽といったメディア市場まで、ありとあらゆる市場で見られる、アタマの痛い問題なのだ。
なぜ、こんなことに?
——早い話、日本の市場が成熟したからである。
市場というのは、ある意味、生物の進化とよく似ている。
最初はシンプルなモデルからスタートして、次第に数と種類を増やし、ある時、「カンブリア紀の大爆発」が起きる。市場に百花繚乱のごとく様々なモデルが咲き乱れる。
だが、そこから環境に適応したものが生き残り、敗者は消える。適者生存だ。そういったトライ&エラーを繰り返しながら、やがて成熟した市場になる。
成熟した市場——要は進化の最終モデルということ。過去に幾度も荒波を乗り越えたので、総合力としてのアベレージは高い。反面、皆が同じ方向を向いているので多様性に欠け、市場としての面白みに欠ける。
例えば、自動車市場がそうだ。昨年度のベストセラーカーTOP10のうち、実に7車種が軽自動車で、残る3車種がハイブリッドカー。両者ともクルマとしての完成度は高いものの、そればかりじゃ市場としての面白味に欠ける。
昨今の「若者のクルマ離れ」は、要はそこに原因がある。
かつてのカンブリア紀の大爆発のような多種多少なモデルが試されたのは過去の話。今や「売れるかどうか分からないけど、ワクワクする車」は市場に出せなくなり、そんなトライ&エラーのない業界に、若者たちがソッポを向いたのも分からぬ話ではない。
他の市場も似たようなものだ。成熟して最終モデルに行き着いた結果、多様性を失い、市場に面白味がなくなり、若者たちが離れてしまった。
とはいえ、今さら歴史の針を「カンブリア紀の大爆発」に戻すワケにもいかない。もう一度、若者たちの背中を押す、何か有効な手立てはないものだろうか。
ある。
少々前置きが長くなったが、その答えが「人間力」である。