この記事は広報会議5月号に掲載されたものです。
あらすじ
D県警の広報室と記者クラブが、加害者の匿名問題で対立する中、時効の迫った重要未解決事件「64(ロクヨン)」の被害者遺族宅への警察庁長官視察が1週間後に決定した。わずか7日間しかない昭和64年に起きた、D県警史上最悪の「翔子ちゃん誘拐殺人事件」。長官慰問を拒む遺族。当時の捜査員など64関係者に敷かれたかん口令。刑事部と警務部の鉄のカーテン。謎のメモ。そして、長官視察直前に発生した新たな誘拐事件は、64をそっくり模倣したものだった…。
現役の記者が会見シーンを監修
僕も演出の井上剛も、ドラマ『クライマーズ・ハイ』(2005年放映)の制作スタッフなんです。『64』は2012年秋の刊行とともに一気に読んで、再び、同じスタッフで映像化したいという思いに駆られましたね。だから横山秀夫先生に映像化の許可をいただいたときは本当に嬉しかったですよ。ピエール瀧さんに広報官役をお願いしたのは、『あまちゃん』の仕事でご一緒していた井上からの提案でした。
2014年の春から本格的に制作がスタートしたのですが、実際に現役の県警広報の方やOBの方たちに何人もお会いしました。僕が素敵だなと思ったのは、広報経験のあるOBの方は今でも、かつて付き合いのあった記者さんと連絡を取り合っているんですよね。「俺があの記者に仕事をゼロから教えてやったんだ」という誇らしい気持ちもあって、記者の成長を長く見守っている。現役時代は日々、緊張感ある勝負をしていたであろう広報と記者の間に漂う、独特の連帯感というか信頼関係は凄いなと思いました。
記者の方にも何人もお話をうかがいましたが、警察の取材は新聞記者の登竜門でしょう。それだけに印象は鮮烈なものがあって、「張り込んでいた県警の広報の人たちの車のナンバーは一生忘れない」と言う。夜回りした自宅の番地も覚えてる、と。『64』の中では「広報室は窓。窓はあるが、マスコミが考えているほど大きくないだけのことだ」という三上のセリフが象徴的だと思うんですが、この微細な関係性は広報の仕事に本気で取り組んだ当事者でなければ分からないだろうなと思います。
企画段階の取材でそういう実感があったので、出演者の皆さんにも役づくりのためのインタビューの場を何度も設けました。一緒に地方県警の広報室を訪問したり、広報経験があるOBの方から何時間もお話をうかがったり。ピエールさんはじめ、新井浩文さんも山本美月さんも同様です。
記者役の永山絢斗さんたちも同世代の若手記者と食事をしたり、記者を演じる女優さんは現役の女性記者の方とお会いしたり。撮影中も現役記者やカメラマンの方に監修いただいて、会見場での場所争いとかシャッターを切るタイミングとか、報道の現場のリアリティを追求しました。
僕は初めて原作を読んだとき、県警記者クラブが抗議文を出すとか、報道協定の場面でボロボロになった刑事部の二課長に詰め寄るとか、実際に起こりうるの?と思っていたんですよ。でも報道関係の知人に聞くと、「あるよ」と皆が口を揃えて言う。「抗議文、俺も書いたことあるよ」と平然と話す記者も珍しくない。もちろんドラマなので多少の演出も加えていますが、横山先生が描く精緻な世界は凄いなと、改めて感じました。