谷口:パトロンが本当に必要で、私はいつも一社提供の番組をつくる感覚でいます。
土屋:テレビも一社提供はやってきたんだけど、広告会社やクライアントの宣伝部の人とつくっているとどうしても、パトロンじゃなくて組織相手になっちゃう。
私の言うパトロンというのは、もうちょっと大ざっぱで、「社長がいいって言うんだから、いいんじゃない?」という大雑把な感じ。こんな感じが理想のパトロンの姿。「やってみたけどさあ、けっこう数字が悪いよね」と見えている数値だけをいうのはパトロンではない。でも、実はこれが両者が目指す「深さの効果」を出す方向だと思う。
「面白いからさ、次もやってくれよ」というパトロンをどう確保するのか。表現の未来はパトロンとつくり手のカップリングじゃないとできない。だからこれは広告の話だけじゃなくて、実はもっとスケールの大きな話なんですよ。
境:広告になろうがなるまいが、じゃなくて。
土屋:表現の究極はアート。アートが表現を牽引する。いろんなもののクリエイティブはアートの影響を受ける。つまり、アートが無くなったときに、クリエイティブはなくなる。クリエイティブだけを持って帰ろうとして、一時的な効果があったとしても、表現としては貧乏になってやせ細っていく。
谷口:再生産になりますよね。
土屋:いまはそういうことが起きている。
谷口:面白いのが広告主の方がこういう動きに敏感なことです。こういったコンテンツをつくるのは手間なので、広告会社はあまり動かないことが多い。
境:たくさんメディアを売った方が、広告会社は儲かりますからね。
土屋:お金を出す人と直接やった方がいいですね。間に人が入れば入るほど、モノのリレーは数字になっていく。情熱だったり、なんか面白いんだよねっていう思いは、会議の議題に出すと「おまえ何言ってんだ、紙で出せ」って言われてしまう。で、紙にした瞬間にそれは伝わらなくなる。結局、共通用語として四半期がどうのこうの、という話になる。それではダメなんですよ。
境:パトロンというのは、意外に奥深いキーワードなんじゃないか。
土屋:そう、だから、「あなたは広告主ではありません、あなたはパトロンなんです!」と言いたい。例えば、宣伝部長の肩書を持つ人に、「そんな細かいこと言っていたら、パトロンになれませんよ」ってみんなで言わなきゃ。「パトロンなんだからここでもう500万ぐらい、すぐにださなきゃ」って(笑)
境:意外と、パトロンと言われると悪い気がしないかもしれませんね、俺はパトロンなのかと(笑)
土屋:パトロンのためなら、一所懸命やりますよ。こっちも言いやすいですよ。
谷口:たしかに私たちは広告という言葉に、必要以上にしばられているかもしれませんね。