人と違うところは全て才能である
中村:澤本さんはどうですか?
澤本:ある人が「才能と素質は違って、素質は持って生まれたものだけど、才能はその素質を伸ばすために努力をし続けられることだ」と言っていて。才能って、そういうものなのかなと思う。自分が努力家というわけではないけれど、「これをやろう」と思ったら、ずっとやっているし、「ちょっとでも良くしよう」と思って飽きずにやっているから、CMという分野で長続きしている気がします。権八は努力家だよね、すごく。
権八:えっ、そうですか!?
澤本:ものすごく真面目で努力家じゃない。基本的に「この人、良くなるな」という人はみんなそうだよね。表面はチャラチャラしていても、一生懸命やるときはすごく真面目だし、自分に厳しいし、努力家という人が多いと思う。逆に、自分で「俺、才能あるよ」という人が才能あったのってあまり見たことがない。
権八:澤本さんはこの間の読売新聞の機関誌でもそういうコラムを書かれてましたよね。あれは面白かった。才能の話なんだけど。「かわいい」も才能だし、「お金持ちの家に生まれた」こともある意味才能だ、みたいな。極論ですけどね。
澤本:才能とは何かと考えたときに、「人と違っているものは全部才能」とすると、「足が速い」というのも、「頭がいい」というのも才能。「人をたぶらかす」というのも、「お父さんがお金持ちの家に生まれた」というのも、他の人から見ると羨ましい才能だし。普通は才能とは言わないけどね。
中村:なるほど。
澤本:人と違っているところを才能だと思えば、それを伸ばすようにしていけば、何かしら開けてくるのではないかと思って。だいたい皆それを伸ばそうとする努力を怠るから、ダメになってしまうんだよね。努力を怠らずに、人と違ったところを伸ばすようにしていけば、それを才能と皆が見てくれるようになるんじゃないかなと、そういうことを書いたんです。
中村:まとめると、「人と違っていれば何でも才能なんだ」と。
澤本:人と違っていることを才能と思えば、自分にも色々な才能があるんじゃないかという思えるという。ポジティブに捉えるということかもしれないけどね。
中村:「飲み水」さんの悩みはどうすればキャッチコピーになりますか?「人と違っていれば何でも才能」みたいな。WEB野郎にはキャッチコピーのことはわからないですけど。
澤本:「才能がないという才能もある」みたいなのはどうだろう(笑)。
中村:それ、いいですね!なんでキャッチコピーっぽくなるんだろう。では、今日のキャッチコピーは「才能がないという才能もある」。これで行きましょう!
権八:矛盾が入ってたり対立概念が入ってるとそれっぽく見えるっていうのはあるよね。
澤本:じゃあ、「左利きという右利き」は?
一同:笑
権八:そんな奴いねえ(笑)!
澤本:これ絶対、供養されてない・・・このコーナーは今日で終わります(笑)。
中村:はい、このあたりで今週はお開きです。番組へのご意見やご感想、お悩みなどはドシドシsuguowa@tfm.co.jpまでお願いします。そして、今夜も番組で応援しているプロジェクト「野球・ソフトボールを東京オリンピックの正式種目に!」テーマソングのTRICERATOPSの『Shout!』を聞きながらお別れです。
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構成・文 廣田喜昭