データがストーカーではなく、マッチメイカーを生む
同時に厄介なのは、デジタルデバイスやインターネットメディアが個人のデータを不必要に収集しているように感じられることです。これは単純にプライバシーの問題というだけでなく、ユーザーのITリテラシーにも関わる点なので、実際にどうかは別にして不安や懸念を与える可能性が大きいです。
最近でもSuicaの移動情報がマーケティングに使われることに対する嫌悪感を示す人が多かったことを思い出させます。これは論理的と言うよりも、感情的な反応ではありますが、先ほどの理由を考えれば理解できなくもありません。
すでにリターゲティングのようなアドテクノロジーの技術によって、広告がストーカーのように追いかけてくるようなことが見えてしまうと、データドリブンなマーケティングがさらに広告の忌避を助長するという結果が見えてしまいます。それを回避するためには、マスメディア時代からも試行錯誤されてきた、ユーザーの体験を損なわないという視点が重要のように思います。
LINEやスマートニュースのようなスマートフォンに特化したアプリケーションは、多彩な広告メニューを持っていますが、この「ユーザー体験を損なわない」という点において、広告の忌避をなるべく最小限にしようという考えが見てとれます。マーケターにとってはメディア側のレギュレーションや考査が厳しいということでもありますが、これは従来、テレビ局のようなメディアが「公共性」という倫理によって実施してきた基準に近いものです。
デジタル時代のレギュレーションとは、ユーザーのパーソナルな体験を損なわず、騙したりせず、期待に沿った情報を提供する「個客関係性」という新しい倫理であるといえます。
そう考えると、今後のデータを中心としたマーケティングが目指すのは、企業側の広告価値を最大化させるためには、まずその受け取り手の価値を最大化させるマッチメイクが必要であるということです。これはディミトリ・マークスが主張した消費者にとっての価値交換としての情報提供と広告情報のやり取りと同じです。
アマゾンに代表されるおすすめ情報のレコメンデーションがそうですが、自分の好みを理解したうえで、まるでコンシェルジェや執事のように自分の行動を先回りして情報を提供してくれるという価値創造は、デジタルマーケティングのデータ志向やカスタマイズ機能を最大限に活用した例です。その際にユーザーは企業を信頼して、積極的に個人情報を与える必要があります。企業はその情報に応じて、最適な情報をマッチさせていくことが求められるというわけです。
マーケティングの未来には、広告は配信やデリバリーではなく、そのようなポジティブな関係を基盤としたマッチメイクになっていくのではないかと思います。