【前回の記事】「コピーに関係する、「レイアウト」の話を少々。(後編)〜編集デザインは、読み手の目線を「誘導」するもの〜」はこちら
このコラムも、いよいよ最終回を迎えました。最初の頃は、テレビCMや企業広告などのイメージ的なコピーと、通販コピーの「違い」について書き始めました。前者に対して、通販コピーはある程度の長文で読み手を「説得」するもの。だから、それぞれに書き方のコツがありますよ、と。その違いをできるだけ分かりやすく紐解いて、通販コピーを少しでも「売れる」原稿に仕上げましょうよ、と。でも回を重ねるごとに、だんだんと一つの事が気になってきました。それは、イメージコピーや通販コピーという前に、そもそも「広告」自体が消費者たちに避けられている…
たとえば、ネット上のバナーがクリックされなくなってきたのは、それが一見で広告と識別できるからです。人によっては、最初からブロックをかけてバナー広告が表示されないように設定してしまいます。また最近では、新聞販売店に「折込みチラシ」を抜いて配達して欲しいという依頼が増えているそうです。家電メーカーはテレビCMを自動的にスキップして再生・録画できるDVDレコーダーを開発しようとしています(発売には「待った!」がかかったらしいですが)。どうして、そんなに皆で「広告」を避けようとするのか?
一つ、心当たりがあります。
僕はもともと「定期購読」型の通販カタログのコピーを書いていたので、読者は必ず読んでくれているものと思っていました。相手はいつものお馴染みさんだから、その人に向けて自然体で話しかけるように文章を綴ることができました。でも、自分で取り寄せる以外の広告(新聞広告とかDMとか…)の場合はちょっと勝手が違ってきます。コピーを書く方も読む方も初対面だし、しかも内容はモノやサービスを「買わせよう」とする駆け引き。すると、どうしてもヨソヨソしい語りかけになりがちです。たとえば、「あなたの元気で楽しい毎日のために〜」とか、「お客様ヘ日頃の感謝の気持ちを込めて〜」とか、ふつうの記事やお喋りならそんな言い方はしませんよね(そもそもそんな風に思ってないし…)。こういう広告的な慣用句は、知らぬ間に「広告っぽさ」の記号として消費者たちの記憶に擦り込まれています。そしてある時、そういうフレーズに出会った瞬間に思うのです。「なんだ、広告か」と。
それは「政治家っぽい言い方」とか「先生みたいなことを言う」などと揶揄されるのと似ています。話が正論すぎたり、建て前ばかりの内容だったりすると、「もう、ウンザリ。その先は聞きたくないよ!」と反応したくなります。同じような条件反射が、「広告っぽい」にもあるように感じるのです。