PR効果は1億円「商店街ポスター展」はなぜ始まったのか? by日下慶太(電通関西支社)

イベントだけでは新世界市場の売上は伸びなかった

しかしながら、イベントが終わったら元の寂しい商店街に戻ってしまった。イベントで売上が伸びたかというとまったく伸びてない。若い人と商店主の交流もなかった。

2回目のセルフ祭(2012年7月)が2カ月後に迫っていた。「このままじゃあかん」とセルフ祭の5人のメンバーたちが考えを改めた。

ぼくも2回目からは中心メンバーとなり、あれやこれやと企画に参画した。もちろん、ただ楽しいイベントでもよかっただろう。ただ、メンバー全員でやるからには社会に意味のあるものをと考えていた。東日本大震災直後の年、みんなが何か新しい価値を作り出さなければともがいていた。ぼく含めみんなそれぞれできることをしていった。

まずは、セルフ祭の事務所として借りていたところに3人が住み込んだ。それぞれ、気仙沼、北海道、東京と東日本大震災以降に移住してきた者たちが商店街を掃除したり、配達を手伝ったり、雨漏りを直したり、商店街の便利屋のように働いた。ぼくは会社があるので、なかなかみんなと一緒に行動できなかった。

自分なりにできることないかと考えていたら「お店のポスターをつくる」ということを思いついた。職業はコピーライター、なのでポスターを制作するのはお手の物である。ただ、20店舗ほどあるから、全部自分でつくるのは大変である。だから、会社の若い子に手伝ってもらおう、ちょうど、若い子の教育も担当していて「これは研修にもちょうどいい!」とひらめいた。

もちろん、商店街からお金なんかもらえるわけない。必然とボランティアになるわけで、会社に相談したら「おもろいやん!勉強になるしええよ」ってことであっさりOKが出た。これでオフィシャルに若手を誘うことができる。しかし、これはボランティアで給料も出ないから、押しつけることはできなない。なので、人が集まるか不安だった。みんなに「やる?」とおそるおそる尋ねると、ほとんどの若手が「やります!」と手を挙げてくれた。

次ページ 「「もったいなくて貼られへん」「家宝にするわ」の声」へ続く

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