【前回コラム】「その企画は、本当に自分が面白いと思うものになっているか?(ゲスト:多田琢さん)【後編】」はこちら
※本記事は5月29日放映分の内容を収録したものです。実際に放映された内容とは一部異なります。
小学生のときからハガキ職人だった嶋さん
中村:今回も素晴らしいゲストに来ていただいています。博報堂ケトルの嶋浩一郎さんです!
嶋:こんにちは。よろしくお願いします。
中村:嶋さんは、博報堂ケトルの共同CEO、編集者でもあり、クリエイティブディレクターでもあります。2004年に本屋大賞の立ち上げに参加、2006年には博報堂ケトルを設立。ツイッターでつぶやいているすごい量の雑学が『このツイートは覚えておかなくちゃ。』という1冊の本にもなっています。
澤本:嶋さんにはずっと来てほしくて。1年くらい前からオファーしてやっと実現しましたね。
中村:澤本さんや権八さんは、お仕事で直接ご一緒という機会はなかなかないですよね。どんなところでお会いしているんですか?
澤本:僕が嶋さんと一番しゃべったのは、カンヌで昼にお酒を飲みながらだと思う。ラジオにとても詳しいんですよね。
嶋:あの時は、ひたすらラジオの話をしていましたね。自分にとってラジオは芽生えだったんです。小学校2年生のときに大沢悠里さんの「ゆうゆうワイド」で芽生えちゃって。
中村:それからラジオフリークの道を進まれたと。ハガキも出していたんですか?
嶋: ハガキ職人でしたね。ラジオ番組と雑誌「ぴあ」の「はみだしYOUとPIA」というコーナーに並行して投稿していました。ラジオは「オールナイトニッポン」を中心に放送日別に出す番組を決めて月曜から土曜までだいたいハガキは毎日出していましたね。
権八:完全なるハガキ職人(笑)。
嶋:自慢じゃないですけど、ハガキを持つと何枚持ってるかわかるんですよ。
権八:枚数がわかる?
嶋:ほぼわかりますね。15枚とか。だって、小学生にとってハガキって高いんですよ。とても貴重なものなんですよ。一枚一枚に命を削ったネタを書かなきゃいけなくて、一枚に何ネタも書く人もいたんですが、僕はハガキ一枚に一ネタ派閥でした。一ネタ入魂。ポストに入れた後、ちゃんと放送局に届きますように、読まれますようにって祈りましたもん。
お小遣いの大半がハガキになる。家の近くの郵便局で毎回100枚の束でハガキを買っていたのでへんな小学生だと思われていたはず。
権八:どういうことを書いていたんですか?
嶋:今、ツイッターで書いていることと変わらないですね。街の中で見かけた変な看板とか、バウ的なものを書いていましたね。僕は番組にハガキを書くことで、人生にとって重要なことはだいたい学びましたね。
中村:大沢悠里で芽生えて。
嶋:本当にそうですよ。中島みゆきさんに読んでもらうハガキの書き方とコサキンさんに読んでもらうハガキの書き方は、アプローチを全部変えなければいけないわけじゃないですか。
澤本:え?それって具体的にはどういう感じですか?
嶋:たとえば、自分の住所を世田谷区と書かずに「小田急OX」とかスーパーの名前を書入れておいて「住所は・・・小田急ん?・・・ウソだろ!」みたいなパーソナリティの突っ込みを予想する。それを逆算してハガキを書く。だらか、番組によってアタックの仕方が全部違うんですよ。
澤本:すごい。今やっていらっしゃることと同じですね。
嶋:クライアントさんにプレゼンをするときには、キーマンによってしゃべり方を変えますよね。それは10代でハガキの書き分けから学んだ技術ですね。