4人は事前に用意された質問に答える形で、それぞれが感じるCM制作の面白さ、苦しさから、CMの未来、あのCMの制作秘話まで語り尽くした。
——CMプランナーってどんな仕事なんですか?
中塚:一言で言うと脚本、ストーリーを考える仕事。オリエンをもとに、商品がより良く見えるストーリーや、それに適したキャスティングを考えます。それが決まった後は、佐藤さんのようなディレクターさんに演出をお願いして進めていきます。
安達:CMを使って企業・商品の課題を解決し、価値をあげていくお手伝いをする仕事。そのCMを打つことで、市場がどう変化するかをイメージすることが重要です。いま、バットをヌンチャクのように使う高校球児の動画が一瞬にして世界で話題になっていますが、動画には強い力があります。それを使い、市場をどう変えるか考える仕事だと思います。
――いまの職に就いたきっかけは?
中塚:昔からバラエティー番組が好きで、就職活動ではテレビ局を片っ端から受けていました。でも、結果は全滅。人生終わった…というくらい落ち込みましたが、「テレビを通して楽しませる」ことはCMでもできると考え、CM関係の会社を受けまくり、大学4年の秋に博報堂から内定をもらいました。
佐藤:大学を卒業してから、CMプランナーになりたいと思いつつ、フリーターを数年やっていました。ただ、広告代理店のCMプランナー職は基本的に新卒しか採用してくれず、チャンスはなかった。そんな中で、TYOモンスターが25歳までという条件でCMプランナーの募集をかけていました。それを最後のチャンスと思い、試験を受けて、拾ってもらいました。
山本:爆薬の研究を大学院までやっていました。ただ飽きっぽい性格なので、爆薬の研究を一生続けるつもりはなかったんですね。そこで、真逆の世界に行きたいと思い、広告業界に入りました。入社して7年目で営業からクリエーティブ局へ異動しましたが、幸い今の仕事は飽きる事がなさそうです。
——新人時代、どうでした?
安達:先輩が忙しくて手が回らないCM以外の仕事を、「あとやっといて」とふられることが多かったですね。調べものとか、Webテキストとか、店頭POPとか。このままじゃヤバいなと思って、2~3年は公募の広告賞にかなり打ち込んでました。
佐藤:会社にとって、僕を採用したのは博打だったみたいです。なんとなく面白そうだからという理由で採用した人材を、普通の育て方では面白くないという判断で、僕にはディレクターの師匠という存在がいませんでした。他の演出家の方々の作品をたくさん見たり、現場の経験を積みながら、独学で演出を学びました。
中塚:私は、新人時代、企画作業は大喜利だと思い込んでいました。その場にいるCDを笑わせなければいけないと。いまからすれば、すごい勘違いなんですけど。
山本:自分の場合は、31歳からクリエーティブ局に移り、仕事がない。会社に来て、ひたすらコピー年鑑を写経する日々で、周りからは冷たい目で見られていた気がします。いま、その当時に貯めていたネガティブな感情を燃やしながら仕事している感じです。
——いまの仕事に就いて、良かったと思う瞬間は?
中塚:自分が作ったCMが放映された後に、ツイッターを見ると「あのCMくそわろた」「おもしろい!」とつぶやかれていることがある。以前年末の、ダウンタウンの『絶対に笑ってはいけない』の間に携わったCMを流したら、「あのCMも、笑ってはいけないの一部かと思った」とつぶやかれて嬉しかったです。
安達:商品が売れる、感謝される、賞を貰える…のも嬉しいけれど、やはりツイッターに人々の反応が出て、「このCM超好き」とか「ウケる」とか「泣いた」とか書かれているのが一番嬉しいですね。カンヌなどでは「for good」が評価されていますが、ただテレビを見ていた人をCMだけで笑わせたり、泣かせたりるのもとても「for good」なことだと思います。
佐藤:電車に乗っていて、子どもが「カレーメシ」のCMの中で出てくる「ぺーぺこちん!」のフレーズを歌っているのを見たりすると、影響力の強さを感じると共にやっていて良かったと思います。
——逆につらいなと思う瞬間は?
安達:CMを作ったのに、何らかの理由で流されない「お蔵入り」はつらいですね。例えば、CMにつながってしまう事件が起き、クライアント判断で放映を自粛する。手塩にかけて育てた子どもを、なんで…という気分になります。
中塚:炎上ですね。過去に、SNSなどにコメントが溢れたことがあって怖かった。
佐藤:安達さんと同じです。CM1本できるまでに、色んな人が色んなことを言ってきます。良いものができそうだったのに誰かの一言でそれがダメになる。実は尖った表現の面白いCMが成立しているのはすごいことなんです。