意外に短い 社会部ネタの賞味期限
一方、経営トップの華やかなパフォーマンスに踊らされるマスコミにも問題があるが、社会部ネタである不祥事の「賞味期限」は以外にも短い。経営側の対応の悪さや隠ぺいのにおいを嗅ぎつけて、特別報道チームが編成されて長期化することはよくあるが、逆に経営自ら潔く事実を認め謝罪し、危機管理の定石どおりに次々に対応する場面を見せられては、マスコミといえども二の矢、三の矢は放ちにくい。
多くの場合は、社会ネタとしての新鮮さを失い、追求の手は緩み、トーンダウンしてしまう。そうした盲点を突いて、ステークホルダーをだまし討ちにするやり方は、残念ながら米国においても散見される。
コーポレート・ガバナンスにおける経営と執行の分離や株主を含めた取締役への相互監視態勢が希薄になりつつある場合、社会の公器としてのマスコミが事実関係を見過ごせば、このような狡猾な経営者を野放しにすることになる。そのような経営者は自ら招いた危機に対しても責任を他者に転嫁し、いつまでも経営トップの座から降りることなく不適切な企業風土を醸成していくことになる。
同時に、このような経営者の計算高さは、社会的な世論形成が「事態の沈静化(危機の収束)」のサインを出している場合、行政機関や司法機関が踏み込んで何かをあぶり出すという行動に出にくいことも熟知しているだけに始末が悪い。
第4話の見所・「危機対策」に完全な勝利はない
危機対策室メンバーの財部(志賀廣太郎)が西行寺(堤真一)に対して塚原社長の過去の情報を説明するシーンがある。財部は、波丘樹脂が10年前にろ過装置の整備不良が原因で工業薬品が流出する事故を起こしたが、その危機を救ったのは部長時代の塚原であり、さらに5年前にも不正経理による脱税が摘発されたが、それを救ったのも常務時代の塚原であったと語る。
会社の危機が起こる度に登場し、救世主のように会社を救い、部長から常務、さらに社長へと出世してきた塚原は「危機はチャンス」をモットーにほとんど失うものもなく成功してきた。
しかし、現実の場面で、何も失わずに成功を継続させることなど不可能に近い。危機的事態を発生させた原因についても、なぜそのリスクを予防できなかったのか、さらに小さいうちに早期発見できなかったのか、という予防の視点から追求の手は伸びてくるはずだ。経営に近い立場になればなるほど、その責任は重くなり、危機的事態の対策が完璧であっても予防管理の甘さによる責任から逃れることは難しい。業務改善命令を発出する行政当局や捜査を行う司法当局がそのような甘い調査・捜査を行うとは到底思えない。
しかし、初めから仕組まれていたとなれば、完全な勝利もできなくはない。まだ何かある、何かが隠されている、と西行寺が嗅ぎつけたにおいは、このあたりにあったのだろう。
第4話では、大規模な海洋汚染を隠ぺいするために会社ぐるみの組織的行為があった事実が新たな危機として浮上する。