知られざる、秋山晶さんのプライベートを少しだけ・・・
中村:秋山さんが初めにコピーライターという職業を「ここが好きで選んだポイント」はありますか?
秋山:全然なかったですね。僕は東京タワーが完成した年の1958年に卒業して、最初は放送局に入ろうと思っていたんですよ。でも、「今年は営業しか採らない、編成(ディレクター)は採らない」と言われまして。
澤本:テレビができた直後ぐらいですか?
秋山:そうですね。民放がはじまるか、はじまらないかの頃ですね。でも、僕は営業をやってそれから編成へという気はなかった。若いときは生き急ぎましたね。それで、出版社でも自分の表現ができるかなと思って、出版社に入りました。
権八:それこそ小説家とか、そちらのほうは志されなかったんですか?
秋山:全然ダメですね。自分の能力というものがわかっていますから。小説家は持続力がすごいと思う。脳にも体力があって。僕は脳の体力がないですね。
一同:笑
澤本:はいって言えない・・・(笑)。
権八:秋山さんのコピーからはアメリカへのすごくピュアな思いというか、憧れみたいなものを感じますが、当時はそういうのがありましたか?
秋山:文化というよりアメリカの映画ですね。それからポップス。小説は大学に入ってからですね。
澤本:秋山さんは、音楽に非常に詳しいですよね。キユーピーマヨネーズのCMにつける音楽も、ほとんど秋山さんが「こういうのがいいんじゃないか」と当てていると聞きました。それも僕らが見て、かっこいいと思うようなものを元々知っていて。結構新しいものを知ってらっしゃるから、いつ聴いているんだろうと。ご自宅で新しいものを聴いたりするんですか?
秋山:ラジオですね。新しい音楽はラジオが一番。自分ではわからないですから。ピーター・バラカンの番組をずっと聴いていましたね。
権八:秋山さんって一体どういう生活をしていらっしゃるんだろう?と思うんです。色々な伝説を聞くじゃないですか。電通の高崎(卓馬)さんが言っていたのですが、一緒に銀座の高級なお寿司屋さんに食べに行って、最後に鮪を折詰にしてもらって、「まだ食べるんですか」と聞いたら、秋山さんが「あ、これは犬に食わせるから」って。
一同:笑
秋山:そんなことは言ってない(笑)。それは高崎さんの妄想じゃない(笑)。
権八:そういう伝説が色々ありますよね。寿司屋に行く前にバーで待ち合わせして、ドライマティーニを何杯か飲んでから行くとか。いちいち粋でかっこよくて。
秋山:2杯ね。鮪というのは本当ですけど、鮪の赤身2切れぐらいをユッケみたいに刻んでもらって、それを包んでお尻のポケットに入れて持って帰って猫にはやりましたよ。
一同:爆笑
権八:やっぱりそうなんだ(笑)。
秋山:でも、ずいぶん違いますよ(笑)。酔っているから忘れてしまって、そのままズボンプレッサーにかけてしまうとか(笑)、そういうこともときどきありました。