ヴィレヴァンだけで売れるものの共通点
今までよく売ってきたもの、コーナーの共通項を探すと、極端にでかい、極端に小さい、業務用、外国人用、極端にまずい、極端に辛い、誰も売ろうとしない、ありそうで売ってない、そんな感じか。
意外と普通のもの、まじめなものも扱いつつ、「なめんとんのか」系のモノやコーナーを不意に出現させることで、ちょっとしたサプライズが生まれる。軽度の痛いという感覚が「かゆい」という感覚だとすると、軽度の驚きという感覚は「笑い」という感覚を導き出す。
なので、戦略的に普通のものや、たまにちゃんとしたものまで扱い、あえて、ポイントポイントで、「はずし」のサプライズを仕込むように品揃えをしていた。これにより、どこでも売っているようなものや、他の小売店では売れ残りとして扱われるような商品に価値変換が起こり、面白い商品に見えてくる。
ここでポイントなのは、「面白い商品」なのではなく、「面白い商品に見えてくる」ということだ。ここには、商品価値というよりかは、買うという行為そのものに価値や意義が見出され、見え方が変わっているということだ。
現代における買い物という行為の意義
バブル崩壊以前であれば、買い物は消費と定義されるのでしょうが、現代においては買い物の意味合いが違ってきている。消費がhavingだとしたら、今はbeingへ移行していると言える。
買い物自体の意味が問われ、買い物することで得られる目に見えない価値が非常に重要な時代になっている。モノを手に入れるという所得消費を提供するだけはなく、モノを通した売る側と買う側のコミュニケーションが非常に重要なのだ。今や商品が淡々と置いてあるような「のっぺらぼう」な売場ではなかなか購買に結びつかない。売場から店員の意思を感じ取り、商品だけでなく店員に共感することで、時間消費や精神的欲求が満たされる。そういう時代だ。
ヴィレヴァンは、非常に極端なビジネスモデルで、所得消費の欲求はあまり満たすことはせず、時間消費に創業以来特化することでなんとか生き延びて来た。しかも、やっていることが人間くさくて、ちょっとダサいがゆえに、誰も真似しない。
時間消費の方法論として、小売店さんは非日常的な洒落た空間を目指していることが多い。そこにしっかりとした店のヴィジョンが反映されていれば良いと思うのだが、どんな独自のサービスを提供するのかがあいまいなまま、表層的にお洒落な空間を提供し、それが目的にすり替わってしまうと、結局、潤沢な資本力のある会社が、リッチな空間を作り上げ、勝利するという構図に陥ってしまうだろう。
買い物の本質はコミュニケーションであり、その店の思想や意思が反映したものであるべきだと思う。
お客様の買い物をよりエキサイティングなものにすることと、お客様の生活の幅を広げる機会を提供するための新たな方法論はヴィレヴァンも含め、多くの小売店における今後の課題のひとつであり、まだまだその方法論は、多くねむっているはずだ。この先、意外なところから、リアル店舗の反撃がはじまる。そんな気がしてならないのである。