—「山口小夜子」を体感してもらうために、展示手法でのこだわりはありましたか。
美術作品という、言うなれば“過去のお宝”を、今生きている人たちにどうつなぐかは知恵を絞るところです。小夜子さんが生きた過去の時間を、いま、目の前の空間によみがえらせることはできないか。今回の展覧会では、その軌跡を辿るアーカイブと、彼女とともに活動した現在活躍中の作家たちが彼女に新作を捧げるコラボレーションの二部構成にしました。まず、アーカイブでは彼女の軌跡を時系列に紹介しました。最後のファッション写真やファッションショーを経て、彼女は肉体的な死を迎えます。その先に作家とのコラボレーション空間を展開することで、イメージとして、肉体なき声として、彼女の存在がいまこの空間によみがっているということを感じられる仕掛けにしました。
実際にご覧になられた方からは、「空間全体に小夜子の気配を感じる」「降霊術のような展覧会」という感想もいただきました。人は何でも着ることができると考えていた小夜子にとって、肉体の死とは単に、魂がそれを脱ぎ捨てただけのこと。彼女はいま、展覧会の空間を「着ている」のだと感じてもらえたはずです。
展覧会では通常、対象の内面に迫ることで本質に迫る手法を採りますが、今回はあえてそれをしませんでした。
彼女が表現者としての高みに到達するまでには葛藤もあったはずですが、本人はそれを一切見せず、「小夜子という仮面」を演じ切った。この展覧会でも、「小夜子が作りたかった小夜子」を作家たちと演出し、「山口小夜子」というイメージこそが彼女の一生をかけた作品であることを強調しました。対象を客観的に理解して情報を取捨選択するのが従来のキュレーション手法とするなら、情報を取捨選択したうえで対象に“憑依”し、その時間を新たに生き直す今回の手法も、キュレーションの一つの形なのではと思います。
—次の展覧会の準備も進んでいるようですね。
「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」を7月18日から開催しています。子どもの展覧会といえば、未就学児を対象に、触ったり遊んだり、感性に訴えかける展覧会が最近盛んですが、今回は小・中学生をメインターゲットにしています。
美術とは、周りの社会とのギャップや、生きづらさを感じている人のための拠り所となり得るもので、それを一番必要としているのは思春期の子どもたちかもしれません。「ここはだれの場所?」という人が持つべき権利について問う言葉から、自分と社会の関係を問い直せるような展覧会にしたいと考えています。批判や不満も、アートならユーモラスに表現できます。アートを武器に現実を変えようとする作家たちを通して、子どもたちが社会について考えるきっかけを提示できればと思います。
おとなもこどもも考えるここはだれの場所?
藪前氏が企画する子どものための展覧会。4組のアーティストの作品を通して、環境や教育、自由など社会を取り巻く問題について考えるきっかけを与えるのが狙い。
デザイナーのヨーガン レールが、居住する石垣島の海岸で拾ったプラスチックごみを材料につくったランプ135個の展示や、造形作家の岡㟢乾二郎による「こどもしか入ることのできない美術館」など。
7月18日から10月12日まで東京都現代美術館で開催。