おもしろい×社会にいい×自分にしかできない×自分にいい
「おもしろい」「社会にいい」については記述した。もし可能であればそこに「自分にしかできない」をつけ加えてほしい。ポスターはコピーライターとデザイナーという人間にしかできない「おもしろく社会にいい」ものだった。
他の人間ができないからこそ珍しかった、新しかった。庭師なら「造園」の技術を使って町の空地に庭をつくる。会計士なら「会計」の技術を使って元気のない商店街の財務状況を見る。ラーメン屋ならご当地ラーメンを作る・・・職業ごとにきっと自分にしかできないことがあるはずだ。
さらに「自分にいい」もつけ加えよう。新世界・文の里・伊丹西台は電通関西支社のクリエイターたち、女川は仙台のクリエイターたちのおもしろいものを作って目立ちたい、できることなら賞を獲りたいという気持ちが強くあった。その気持ちの強さが作品の強さに現れている。
これ以上に「自分にいい」ことはない。自分にメリットがあるからこそ、みんなは動くのだ。それは、虚栄心であり、下心であり、利己心であろう。しかし、それでも社会がよくなるならそれでいい。つまるところ、自分の中で「おもしろい×社会にいい×自分にしかできない×自分にいい」が何なのか、その重なり合う所をみつけ、そこに邁進するときっと、話題にもなり、自分も幸せになる結果が生まれるはず。それは商店街に限らずとも、あなたの普段の生活にもある。
「広告はクライアントのもの」でいいの?
最後にいちばん伝えたいこと。これを読んだあなたが主役になってほしいのだ。広告制作者の我々は普段、こう叩き込まれる。「広告はクライアントのもの」。確かにそうだ。お金を出しているのはクライアントだ。我々は黒子に過ぎない。
しかし、ぼくは違うと考えている。広告は広告制作者のものだ。自分たちの作品だ、自分たちがおもしろいと思うものを世に出さなくてはならない。そういう気概がないから広告は伝わらないのだ。
では、広告主は主役ではないのか、いや、主役なのだ。しかし、主役は会社や商品ではない。あくまでも人間である。担当者が主役になればいいのだ。我々は商品や利益の奴隷になってはいないだろうか。奴隷として作ったものなど誰にも伝わらない。我々が主役になってこそ、作ったものは世の中に伝わっていく。制作者と商店主が誰の奴隷にもならず主役になっているからこそ、商店街ポスター展は伝わり広がったのだ。広告に人間の復権を!そう高らかに宣言した所でこの連載を終えよう。
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