ここでは、五輪開催を控え、注目の集まる東京とシビックプライドについてシビックプライド研究会 太田浩史氏(建築家)が執筆したエッセイ「東京のシビックプライド」(本書収録)の要約版を掲載します。
東京こそ、シビックプライドを必要としてはいないか。シビックプライド研究会で、幾度も議論されてきたテーマである。
東京は魅力度やブランド力は高いものの、愛着に関しては全国平均以下となるケースが多い。まちにかかわっていると感じる「自負」についての調査はないが、まちづくりへの参加率は全国最下位である。自分自身、東京は大好きではあり、都市にかかわる職能にもついているが、自分が東京の未来を築いているという実感はほぼない。この距離感は一体何か。
東京にシビックプライドが育たない理由には、以下の4つが挙げられる。
(1)総体としての東京ではなく、人々は駅圏を中心とした地域(例えば、神田、下北沢など)に愛着をより感じている。
(2)地元出身者の割合が全国で一番低く、東京出身者であっても育った地域から転居しているケースが多いため、地元ネットワークが育ちにくい。
(3)首都機能のために地方自治体として東京をイメージしにくい。
(4)都市の未来を伝えたり、何らかのメッセージを共有するコミュニケーションの機会が少ない。
特に(4)については、情報発信者が、区、市、都、国、交通機関や民間企業と多岐にわたり、全体として大きな像を結ばない。都市計画も、都のホームページにPDFがアップされているのみで、レクチャーやワークショップなどの機会は用意されていない。東京に対する素朴な関心が、より確かな参加意識に連続するよう、シンプルで、統合力の高いメッセージが必要ではないだろうか。
さて、このような状況で2020年東京オリンピックが開催される。もとよりオリンピックに関しては、都民の支持率が招致の1年前まで70%を切るなど、盛り上がりが低かった。当時の招致委員会のメッセージの書き出しは「東京のためだけではなく、私たちニッポンのために。」、その4年前は「日本経済は必ず復活します。」であった。日本全体への波及効果については分かるけれども、東京に何がもたらされるかについては、東京圏の住民には不明瞭だったのである。
それに加え、コスト高となった国立競技場が「国を挙げての」大論争となり、2015年の7月、内閣総理大臣の声明によって白紙撤回された。明らかになったのは東京の開発が、トップダウンで国策として決まるという、疎外感である。一連の出来事が、都市の未来を担うのは自分たちだという自負心を、都民・東京圏の住民から奪ってしまったとしたら。シビックプライドとは全く逆の、どこか白けた感情が漂い始めているようにさえ思われる。これは、危機ではないか。