レイ・イナモト(稲本零)氏がAKQAを退社し、10月1日付で独立する。同時に退職したAKQAニューヨークのマネージング・ディレクター(経営・営業の責任者)レム・レイノルズ氏と共同での創業だ。「デザインとテクノロジーでビジネスを開拓するスタジオ」を目指すという。社名は未定。退職日は9月18日だった。
小さな海賊の会社が、いつしか巨大な軍艦に
AKQAでの在籍期間は約11年を数える。前々職のR/GAからAKQAに移ったのは2004年11月のことだ。当時AKQAの社員数は300人にも満たなかった。それが現在では中国や日本を含め世界各地に14カ所の拠点を置き、社員は2000人近くに拡大した。
イナモト氏は、故スティーブ・ジョブズがマッキントッシュの開発時、「海賊旗」を掲げた逸話に触れながら、たびたびAKQA入社当時のことを語ってきた。選ぶべきは、存在を確立した企業=「海軍」ではなく、自分の旗を掲げて世に出る=「海賊」だ、と。
「R/GAに残るか、別の会社に移籍するか。『伝説』と言える人の下で働くこともできたし、いくつかの選択肢があった。AKQAはその頃無名で、選択肢としては“最悪”だったと思う。けれど、素晴らしいリーダーや会社で業績を残しても、本当に自分の実力と言えるのだろうか。そう考えて、“海賊の会社”であるAKQAを選んだ。『本当に人生最悪の間違いかもしれない』と思ったこともあったけれど(笑い)」
その「海賊の会社」でイナモト氏は、デルタ航空やナイキ、ギャップなど数々の施策で成功を収めた。新たな才能を発掘しようと、世界最大の広告祭「カンヌライオンズ」と共同開催する学生コンペ「フューチャー・ライオンズ」は、2015年で10回め。当初30件程度だった応募数はいまや約1800件に増えた。グローバル担当の最高クリエイティブ責任者(CCO)に上り詰めたイナモト氏は、名実ともにAKQAの象徴とも言える存在だ。いま、同社を離れるのには、どんな思いがあったのか。
「もしかしたらAKQAは、『海賊』の会社からいつしか、『巨大な軍艦』になっていたのかもしれない。いいことだけどね。僕もトップに近い立場にまで上ることができた。それで改めて、何が自分にとって意義があり、やりがいがあるか。まだ自分に10年か20年の時間が残されているうちにできることを考えたら、また『海賊』に戻りたいと思った。それも今度は自分の船で」
「広告産業が激動を迎えているのは、誰も否定しないと思う。広告会社間の争いだけじゃない。アップルやフェイスブックといったテクノロジー企業、ITコンサルティング企業も頭角を現しはじめた。IBMやアクセンチュアがデザイン領域に乗り出すなんて、誰が考えただろう。広告に携わる人の中には、『どこに行けばいいのか』『次に何をすればいいのか』、表には出さなくても、不安を抱える人がとても多いと思う。僕だってそうだ」
「そうした変化につれ、従来の広告会社のビジネスモデルは、少しずつゆがみが大きくなってきたんじゃないかと思う。一般論だけれど、人を増やしたり、時間をかけたり…効率を悪くするほどお金が入る。もちろん誰も是とはしないけれど、本質的に矛盾をはらんでいる。そして、その矛盾がだんだん大きくなってきたようにも感じる。いつからか僕は、そんな既存の枠組みを超えたいと考えるようになっていた」