日米の広告の大きな違いとは?
このように様々なトレンドが出てきている中、世界の広告業界の中心とも言えるニューヨークに数日間滞在することで、ある気づきを得ることができた。日本は商品中心のマーケティングが主流である一方で、米国はブランド中心のマーケティングが広まっている理由とその違いについてである。
皆さんはマーケティングの4Pをご存じであろう。Product (製品)、Price(価格)、Place(売り場、流通)、Promotion(広告、販売促進)である。
今回は国連などの渋滞やコンパクトにまとめられた会場のおかげで徒歩移動が多く、いろいろ見て回ることが出来たのであるが、米国の定番商品は自分が子供のころからほとんど変わっていないのだ。
米国のマーケティングは商品を変えずにブランディングが主軸
筆者はニューヨークに生まれ、15歳までの間に3回にわたって米国に暮らしていたのだが、当時から商品のラインナップが全く変わっていないカテゴリーが多いことに気付いた。
m&mというチョコレートを例にとってみると街角のニューススタンドやデリ、スーパーマーケットなどでは必ずおいてある定番商品で「チョコレートなのに手で取っても溶けない」というメリットを訴え続けて成功している優良ブランドである。
そのm&mは何十年間もパッケージや商品内容はほぼ変更なく同じ場所で同じ価格で販売され続けている。つまり4Pのうちの3つ(Product, Price, Place)は全く変更が無いまま数十年続いているのである。これは何を意味するか?特に加工食品や飲料に関して考察してみたい。
マーケティングというと日本では広告や販売促進費に目が行きがちであるが、製品を改良するには製品開発の基礎研究や生産ライン変更が必要で、その設備投資も必要になる、販売場所や流通ルートを新たにつくったり変更したりするにはさらに莫大な投資が必要となる。
また価格は下げることはあれど値上げすると消費者の反発を買うだろう。そうすると残るのはPromotionである。今回訪れたニューヨークではm&mはタイムズスクエアの一等地に巨大なショールームを構えて、キャラクターを活用したマーケティングを展開していた。
チョコレートというシンプルなお菓子であるが、キャラクターにより情緒的なつながりを消費者とつくることができて、長年親しまれている。新製品を出すとコストもかかるしリスクも伴う。製品開発、流通開拓、認知向上のマーケティング費用は膨大なものになり売れない場合には損失となりかねない。
したがって商品が売れ続け、価格が下がらないようにブランド構築のマーケティングに投資し続けることは経営を安定させ利益率を向上させることが出来るのである。
既存の設備を稼働させ、既存の流通に乗せ同じ値段で提供し続けるだけで、減価償却による生産設備費用の低減や大量購入による原材料費の低減をもたらし、最小のリスクで利益が最大化出来るという仕組みが出来上がる。
これは世界的に見てもコカ・コーラ、カップヌードルやKit Kat、日本国内では三ツ矢サイダー、カップヌードルやかっぱえびせんなどが該当するのではなかろうか?
四季や旬を感じる日本の消費者、製品認知の早期醸成が必要
一方、日本はどうか。米国の小売りを見ると「新商品が少ない」と感じたのだが、日本のコンビニに足を踏み入れると常に新商品や季節限定商品を目にして楽しい気分になったり季節を感じることができる。これも筆者の推測ではあるが、日本には四季の季節感と旬の限定感があり、そちらが消費の大きな原動力となるのではないだろうか。しかも、売り場の面積が比較的狭いので棚は奪い合いになる。Product(新製品、季節商品)、Place(売り場の争奪)といった要素が加わるので日本のPromotionはそれを考慮した形をとることになる。
季節限定商品や新商品の場合には、長期的なブランディングよりは短期的に認知を拡大するほうが優先される。売れる期間が限定されていたり、売れないとすぐ売り場を外されてしまうからである。したがって短期間で認知を拡大し、売り場を確保するためには、テレビなどで一気に認知を広めるほうが得策ということになる。
しかし、これはメーカー側に常に新商品を開発し続け、長期的なブランドを育成できないという利益確保の意味でも大きな課題となるのでその意味では問題である。
非常にベーシックな観点ではあるが、マーケティングの4Pに立ち戻って日本と米国の現場を考察するだけで筆者は自分なりの気づきを得ることが出来た。特に加工食品に於いて米国は他の3Pに大きな変化が無いのでPromotionによるブランド構築が中心になって経営のROI向上に寄与しており、日本は常に新しい製品が市場に供給され消費者の満足に繋がっていると考えられないだろうか?
国民性や企業経営に対する考え方がマーケティングの手法にも大きく影響していると考えられる。
しかし一方では「認知の拡大や売り場確保だけでは商品が売れなくなってきている」という現実もあるだろう。これはソーシャルメディアやスマートフォンにより個人化された情報流通により消費者自身が商品あるいは商品流通の一部となりたいという願望が高まってきているからであると筆者は考えている。