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最初は又吉さんに書くことを断わられるはずだった
森山:又吉くんの文章を読めば、出版社のあらゆる編集者たちが彼に小説を書いてもらいたいと考えていたと思うんですよね。でも結果的に浅井さんが編集者だったからこそ『火花』が生まれた。
浅井:そう言っていただくこともありますが、全てはタイミングだったのかと思います。『編集会議』でもお話しましたが、又吉さんが『別冊 文藝春秋』を読んでいることを知り、2011年の文学フリマで初めてお会いして依頼をしたのがきっかけです。又吉さんが書かれていたものがすごく面白かったので、「小説を書いてください」とお手紙を出し、メールで返事がきて、一度お会いすることになりました。
ただ又吉さんと初めてお会いしたときは、後輩芸人の方も一緒だったんです。芥川賞受賞パーティーの2次会で、久しぶりにその後輩芸人の方とお会いしたんですが、「初めてお会いしたときに僕がいたのは、本当は断り役としていたんですよ。又吉さんは一人じゃ断れないから」と言われたんです。でも、断り役だったはずのその方が、偶然にも私と出身が同じだったこともあって話が盛り上がり、話が進んでいくうちに味方になってくれたんです。「又吉さん、絶対に小説を書くべきだ!」って(笑)。それで又吉さんも断れなくなってしまったそうです。帰り際には「断れって言っただろ」と又吉さんに怒られたそうですが(笑)。だから、運がよかったんですよね。そこから何回かお会いして、半年ぐらい経ってから書きましょうとなりました。
森山:浅井さんが『文學界』に異動になったという、タイミングが合ったのも大きかった?
浅井:そうですね、タイミングは非常に良かったと思います。
九龍:そうした流れを引き寄せるのも編集者の力ですよね。
浅井:そういうことにしておきましょう(笑)。小説の内容についての打ち合わせの初回で、芸人について書くという案がすでに又吉さんの中にありました。本にしたかったということもあり、そこではざっくりと年末までに150枚ぐらいは原稿がほしいと伝えたんですね。とはいえ、又吉さんがお忙しいのはわかっていたので、たまにメールをして「どうですか?」と確認していました。
森山:原稿の催促は編集者の大事な仕事だけど、やりすぎると引かれてしまうし、難しい駆け引きだよね。
浅井:こう言ってしまうのもなんですが、わたしはあまり気を遣えないタイプなので、ストレートなメールを送ってしまっていたと思います。でも、これはあとから思ったのですが、あれだけ多忙な又吉さんに対して、これまでストイックに締め切りを設定していた編集者がいなかったんじゃないかなと。
森山:連載を始めるとか、書き下ろししてもらうとか、締め切りを設定して著者から原稿をもらうって本当に難しいじゃないですか。しかも他ではなく自分の編集する媒体や出版社で書いてほしいというわけだから。
浅井:具体的な締め切りを設定して、催促したことが、原稿をいただけた一番の理由だったと思います。10月に入ってから、又吉さんから最初の10枚の原稿が届いたんです。そのときは初期設定と文体を話し合い、そこからは何十枚か書かれたところで原稿が送られてきて、メールだったり、会って打ち合わせをしたりを繰り返しました。それからギリギリでゲラにして、最後まで文章など細かく見ていただきました。時間がなかったので、最終的には深夜に文藝春秋まで来てもらったりもしていました。