中高6年間、特待生で学校からお金を貰っていた
武井:兄貴は親父がお金だけはサポートして、私立の学校に入ったんです。でも、俺は2人目だから、お金も使いたくないし、そんな学費にお金を使うぐらいだったら、ご飯代にしたいと思っていたぐらいなんで。それで、私立の特待生制度がある学校を選んで入りました。そこは学年で3番目以内に入ると入学金も学費も全部免除されて。定期テスト全部3番目以内に入っていれば、中高6年間全部タダ。
澤本:すごい。
武井:しかもトップのほうだと1万数千円を学校から貰えるシステムがあったんです。だから、俺はこれを6年間全うして、給料を貰って学校に行くというシステムをつくりあげようと。結果、6年間全部タダです。
一同:すごいですね!
武井:本当に1年間で10何万円貰ってました。6年間でぶっちゃけ100万円近くもらって教育を受けさせてもらったという。
権八:お勉強できたんですね。イメージと真逆ですけどね(笑)。
武井:勉強ができたというか、お金が欲しいからやったんですよ。本当に教科書はもらったらすぐ全部読んで、授業のときには先生が言う、教科書に載ってない言葉だけを拾うようにして。席替えでは絶対に一番前の席を取って、全部それをノートに書き込んで。もう教科書のことは覚えているからいいと。それじゃない何かヒントを言うはずだから、そこが絶対に赤線だと。それで、ほとんどのテストで90~100点の間でした。
権八:めちゃくちゃ優秀じゃないですか!
武井:そのあたりから逃げ切りの人生がはじまってるんです(笑)。
権八:逃げ切るって言い方が独特で、社会に勝つとかじゃないんですね。勝つのはあくまでも動物とかで(笑)。逃げ切る、つかまらないようにするというか。
武井:動物の倒し方も最初は逃げ方から考えたんですよ。以前、陸上の日本チャンピオンになって、その後、アメリカにゴルフをしに行ったんです。それで4年間アメリカにいたらうまいサンドウィッチを食いすぎて85キロまで太っちゃって。
一同:へーっ。
武井:それがショックで裏山とかをジョギングしはじめたら巨大な鹿に遭遇しちゃって。殺されると思ったら腰が抜けちゃって。その帰りに一番分厚い動物の図鑑を買って、鹿のところの習性から見はじめたのが最初です。
澤本:その習性を見て、どうすればいいかを知ろうと?
武井:そうです。この動物から身を守るためにはどうしたらいいかと、全部の動物を研究していたところ、逃げるためには100メートル10秒台ぐらいじゃないといけないと。それでトレーニングをはじめて、今度は動物を威嚇するのに140キロぐらいのスピードで石を投げなきゃいけないというタスクがあったので、プロ野球の冬季キャンプのフィジカルコーチに応募しました。それで、台湾のプロ野球に合格して。でも、140キロ投げるためだけに応募したので、コーチする気は一切ないんですよ。
権八:自分が学ぶために(笑)。
武井:初日にハッタリをかまして、チーム全員と監督に「僕はフィジカルトレーナーとして来てるけど、選手の体の痛みや疲労がわからないとメニューが組めないから練習は全部一緒にやります」と。そしたら、「うぉー、すごい素敵なコーチだぁー」とか言われて。
一同:笑
武井:違うんですよと。心の中では「すみません」と言っていたけど、ただ野球の練習がプロと一緒にしたかっただけなんですよ。そうしたらすぐ140キロぐらい出るようになって。
中村:マジですか!?
武井:これで大型動物に対して、反応できないスピードで石をぶつけて、威嚇できるから逃げ切れると。それで、フィジカルが仕上がってきたときに三越の前を歩いていたらライオンの銅像があって、「あれ、もういけんじゃねーか」と思って倒しはじめたのが最初です。
一同:爆笑
武井:それが第1戦目ですね。そこから日々、1日10頭ずつ倒して、11年かけて、約2万頭の動物を倒し、“百獣の王”としてデビューしたのが39歳です。
権八:本当に倒したわけじゃないですよね(笑)?
武井:えぇ、シミュレーションです。脳内のシミュレーションで倒しました。
小学生の頃に、月7万5千円のゴミ収集バイトを発明
中村:大事なことを忘れてました。定番コーナーの20秒自己紹介をお願いします。
武井:はじめまして、武井壮です。東京葛飾区に生まれ、小学校時代にゴミ捨てのバイトで7万5千円を稼ぎ出していました。中高大スポーツに邁進し、10種競技日本一になり、その肩書きを元に芸能界の頂点を目指し邁進する平成の“百獣の王”、武井壮でございます!
権八:秒の感覚がすごいですね!見事に20秒に。
武井:ありがとうございます。秒カウントを聞きながら、しゃべりながら調整してます。
中村:しかも、今出てきた発言はほぼ全部初耳という(笑)。小学校のときにゴミ・・・何ですか?
武井:小学校のときに自分で発明したバイトなんですけど、親がいなかったからメシ代に困ってたわけですよ。奨学金だけじゃやっていけないから、近所のお母さんたちや、いつも行っていたお店の店長さんにお願いして、ゴミを毎朝家の前に出しておいてもらえれば、それをゴミ捨て場まで持っていきますと。そのかわり、月に500円お小遣いをくださいと言って回ったんです。それを150軒ぐらい請け負っていました。
中村:それで7万5千円だったと。
澤本:朝は結構早起きしてたんですか?
武井:早起きして5~6時の間には絶対に起きて、ダッシュで1軒ずつ端から持って行ってと。だから、何軒かまとめてガガガッと、片手で3、4個ずつ持って、バーッと走って置いてというのをやって。でも、1時間かからないぐらいで終わってましたけどね。
権八:150軒・・・すごいですね。
武井: 1軒、僕にすごくよくしてくれていたお父さんとお母さんがいて。地元のちょっと大きいお店をやってるお家だったんですけど、その人達が最初、「家のゴミを捨ててくれたらお小遣いあげるよ」と言ってくれて、そこから発案して色々な人に言ってまわったんですけど。今考えると、その人達がお小遣いをくれてたんだろうなって。
中村:ああ、なるほど。
武井:「今日何軒やったの?」と聞かれて、「150軒やってるよ」と言ったら、「そうなの、じゃあ、みんなからは私たちがお金を集めてまとめて払ってあげるから、他のところにお金貰いに行かないでいいからね」と言ってくれて。
中村:めちゃくちゃいい話ですね。
武井:僕はそういう町の愛情で育てられただけの話で。バイトじゃなかったんだな、その人達の愛情だったんだなと思って。それがだいぶ後になってわかって、俺は人を大事にしようって気づいたのが中高生ぐらいのときですかね。心に沁みています、いまだに。