独自のスポーツ理論で、練習せずチャンピオンに!?
澤本:さっきもうかがったけど、武井さんは芸能人になると決めて、それでどうすればいいか考えて行動されたと。
権八:何がどうなって今の武井さんがあるのかなと。だって、スポーツ選手だったわけですよね。
武井:まずスポーツをやると決めたのが小学校3年生のときで、自分の体を頭で思った通りに動かせば、絶対にどんなスポーツも成功するというスポーツ理論を小学校5年のときからノートに書きはじめて。だから、子どもの頃はスポーツの練習をしないで、頭で思った通りに武井壮を動かす練習をずっとやっていたんです。
中村:へー!
武井:スポーツの失敗って頭で思っていたことと違うことが起きちゃうこと。球を当てたいのに当たらない。あそこに入れたいのに入らない。何々したいが叶わないのがスポーツの失敗。でも、何々したいができれば全部成功する。スポーツってそういうもの。だから、たとえば僕はペットボトルを持つときも「あそこを持ちたい」と思って持つんですよ。
澤本:面白い。
武井:何も考えないで持ったら日常生活になってしまう。これはスポーツじゃない。でも、これを持つときもここをピタッと持ちたいと思って成功したら、スポーツの練習と全く同じなんですよ。僕の活動は、こういう風に全部の作業に「何々したい」が入っていて、しかもそれを成功させる完遂率が半端じゃなく高いんです。ずっとやってるから。
澤本:なるほど。
武井:だから新しいスポーツをやってもすぐできる。それは時短になるし。もうできるから練習はしなくていいから、あとはフィジカルを強くすればいいと。その理論を証明したかったので、学生時代に10種競技をやって、一番難しいと言われる種目を最短で優勝すると言って、2年半ぐらいでチャンピオンになりました。
一同:はーっ、すごい!
武井:で、ゴルフ、野球とやって、30歳まではスポーツを全部やると決めていたんですよ。だけど、僕の兄が俳優をやっていたんですが、24歳のときにガンで死んじゃったんですよ。抗いもできず1年ぐらいで。やっとテレビとか出だした頃だったので、芸能界にはちょっと思い入れがあったんですね。
澤本:なるほど。
武井:いつか何かやってあげたい気持ちはあって。僕は30歳までスポーツをやったけど、終わったときに何も残らなかったんですね。チャンピオンにまでなったのに、街の人は誰も俺のこと知らないと。なんでかなと思ったら、スポーツでチャンピオンになりたいというのは逃げ切りたい欲とか、自分に対する欲ばっかりだったから。自分に対する欲ばかりだと意外と人って応援してくれないし、人に対してアクセスしないとモノってエンターテインメントにならないじゃないですか。
澤本:そうですね。
武井:どんなに優秀な広告も誰一人見なかったら、何の効果も生み出さないし、スポーツの世界記録も体育館で1人で出したら何の記録にもなりません。だから、俺の若い頃のスポーツには価値がなかったんです。価値を生むには何が必要だろうと考えているときに、芸人たちと知り合いだして、しゃべるだけで人がゲラゲラ笑ってうれしそうにしてるって、もうこの人数分の価値が生まれていると思ったんですよ。
澤本:なるほど。
バーにテープレコーダーを3台仕込んで夜な夜な話芸を盗んだ
武井:これだ!と思って。人を喜ばせないとダメだと思って。それで、家に1人でいるのはもったいないと思って、家借りるのをやめて、西麻布のバーに入り浸って、ボイスレコーダーを自分の洋服とバッグと上着脱いだやつに3個仕込んでおいて、芸人さんとみんなでトークしているところを全部録音していたんですよ。
一同:へーっ!
武井:そのときの会話を自分1人になったときに聞いて、そこに合いの手を入れたり、そこの誰かになり切って同じタイミングでしゃべったりして、おしゃべりを勉強したんです。
澤本:トレーニング、すごいですね。
武井:僕はスポーツをやっている感覚でしたよ。このタイミングで、こういう言葉で、こういう声色で、あのとき、あの表情で、あの仕草でこれを言っていたなと。そしたら大爆笑してたなとか。これはなんでウケたのか、この前のトークに秘密があるなとか。1回友達とトークしているときに試してみようとか。家がないから朝までバーにいて、サウナに行って、シャワー浴びて、また街に出て行って。ちょっとゴルフ場でキャディーとか、バイトみたいなことをして日銭を稼いで。俺、「全速力で走るキャディーがいる」って有名だったんですよ。
一同:笑
武井:東京の若洲ゴルフリンクスに、獣のようなキャディーがいると。ドライバー4人が打つと全速力でボールを全部見つけ出して、「こちらです~!」と全部指示して、全員に3本ずつぐらい適したクラブを持ってきてくれる最強のキャディーがいると。それで日銭を稼いで、また夜バーに行ってというのを繰り返して、トークの練習をしていて。そのときに、動物の倒し方を1人で落語でつくっていました。
中村:落語で?
武井:僕が僕に質問して、「武井さん、百獣の王になりたいとか言ってますけど、そんなの無理でしょう」「いや、無理なことないですよ、人間可能性の塊ですから」「いやいや、百獣の王はライオンですよ。ライオンに勝てるんですか?」「いや、ライオンはぶっちゃけ弱点は見つかってますよ」「えっ、見つかってるんですか。弱点ないでしょ、ガブッとやられたら終わりですよ」「確かに攻撃力は半端じゃないけど弱点はあるんですよ」みたいなことを言いながら1人で笑えるように、ネタというか、シミュレーションをつくって。どの動物を振られても間を置かずに即答で答えられるようになったのが38歳のときだったんですよ。
澤本:練習だ、全部。
武井:それで「よし、勝負しよう」と思ってマネージャーを雇って、フジテレビに営業に行って。1本目に決まった仕事が中居さんの「うもれびと」っていう番組で、それでポンとブレークさせていただいて。そこから今まで休みが3日ぐらいしかないという。
一同:おーっ、すごい!
武井:3年ちょっと経ちますけど。ありがたいお仕事を今はいただいていますよ。
権八:ポジティブな武井さんだからあえて聞くんだけど、タレントになりたいと思ったのが30歳のときで、日の目を見たのが38、39歳ぐらいですよね。不安になったり、「このまま、テレビに出ないこともあるのかな」と思ったりはしませんでした?
武井:思いましたよ。8年ぐらい、広告をやったり、バラエティにちょこっと出たりはしていたんですよ。でも、そのときは全然当たらなくて。僕もまだおしゃべりができなかったから。これで表に出たら絶対に失敗すると思っていたので、あまりキー局には出たくなかったんですよ。
権八:いちいち戦略的ですよね(笑)。小さいときから。
武井:だけど、すごい不安でしたよ。同世代がみんな良い会社に入ったり、活躍しだしたりして、「ちゃんと仕事したほうがいいよ」ってみんなに言われたし。「あの人ダメだな」って陰口叩かれたこともあったし。そういう時期があったけど、僕の人生のテーマは、さっき「社会から逃げ切る」って冗談っぽく言いましたけど、つまり自分の心の中に生まれてくる、あれをしたい、これをしたいというのを一番大事にするということなんで。
それは子どもの頃の育ちですよね。親もいない環境で育ってるから、子どもの頃のほうが大変で。メシを自分でつくらなければいけなかったし、洗濯も自分でしてたし、行きたくない学校も行かなければいけなかった。勉強だってしたくてしていたわけじゃなくて、お金がないから学費のためにしていたし。だけど、そのときに、そういうのは十分やったと思ってるんですよ。遊ぶのを我慢してやってたから。
だから、もう我慢させたくないと思ってたんです、自分に。大人になって自分の手にしてきたスキルで、だんだん逃げ切るようになってきたところを曲げたくなかったので、絶対にいつか成功できると思っていました。