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走りながら考え、考えながら走った5日間。
2011年3月11日、東日本大震災により多くの方々の大切な命や財産が奪われました。そして関西地方も1995年1月17日、大きな地震に襲われました。阪神・淡路大震災です。あのときのことを最終回に書かせていただきます。
今から約20年前のあの日、一瞬にして多くの人が亡くなり、家を失い、高速道路が倒れ、電気や水やガスなどのライフラインも途絶えました。僕も被災者の一人です。
企業のテレビCMも自粛され、そのかわりとしてACのCMが流れました。水が出ない、缶ジュースが買えないという状況の中で、「水をきれいにしましょう」や「空き缶ポイ捨て禁止」という内容のCMが大量にオンエアされたのです。
テレビ局には、たくさんのクレームがきました。でも、企業は平時のようなCMをオンエアするわけにはいかず、テレビ局としてもACのCMを流すしかないという状況が続きました。
そういう状況の中、一部の電車が動きはじめたので僕は出社しましたが、出社したとたんに当時のクリエーティブ局長だった堀井さんに呼ばれました。
「現在流れているACのCMは、今の状況にそぐわない。被災者の方々を励ますようなCMをなんとしてもつくって、すぐにオンエアしたいと支社長が言っている。自分もそう思う。とにかく一刻をあらそう。今、この場で、このメンバーで考えたい」
というような話でした。その場には、田井中さん、石井さん、前川さん(当時、電通テック・プロデューサー)といった人たち5、6人が集まっていたと記憶しています。
そこで、我々がまず議論したことは、「今のような状況の中で、CMが役に立つのか?CMなんかを流すよりも、どこに行けば水があるとか、どこの病院が機能しているとか、被災者の方々にとって必要で役に立つ情報を流すべきではないか」ということでした。
そのとき、堀井さんは言いました。
「広告かて人を励ましたり、勇気づけたりできるかもしれんやんか。この場のみんなで考えてあかんかったら、俺もあきらめる。とにかく、いちど考えてみようや」
そういうような議論を経て、石井さんが「人を救うのは、人しかいない」というメッセージはどうかと言い、一同「それだ!」となりました。救助やボランティア、差し入れされた食料や水、そういうものすべての裏側に人の手があったんです。僕や僕の家族も多くの人たちに助けてもらいました。ほんとうにありがたかったです。
ビジュアルをどうするかという話になった時に、僕の頭の中に浮かんだのが、避難先のテレビで見た報道番組の映像でした。当時は、道路も電車の線路も破壊されていて…。被災された人たちは、避難や食料の買い出しなどのために、電車が動いている駅まで線路づたいに数十キロ歩いている。そういう内容のニュースでした。
そのニュース映像の隅っこに、線路脇に立てられていた一枚の貼り紙が映っていました。その貼り紙をよく見ると、「駅まであと2キロ、ファイト!」と書かれてあったんです。
いいことをする人がいるなあ、と僕は思いました。歩いて、歩いて、へとへとに疲れた人たちは、その貼り紙を見て「あともう少しや。がんばろう」という気もちになれたと思うんです。そういう話をしたら、ビジュアルはその貼り紙でいこうとなりました。
またその一方で、本音で語ってもらえる著名な方におねがいしてメッセージをもらおうという企画もまとめ、「貼り紙」のほうは石井さんと僕、「著名人」のほうは堀井さんたち、と二手に分かれて撮影に行くことが決まりました。局長室に呼ばれ、みんなで話し、企画をまとめ、コンテにし、堀井さんがACさんに連絡をとって了解をとった。この間、2~3時間だったと思います。
で、その後にすぐ電通テックの皆さんに協力をおねがいし、集まってもらい、打ち合わせをし、次の日の早朝に僕たちは現場へ。石井さんと僕はバイクで、監督やカメラマンをはじめとするスタッフチームは徒歩で、それぞれに貼り紙を探し、携帯で連絡を取り合いながら撮影していきました。現場には救急車などのサイレンが鳴り響いていたことを憶えています。
結局、僕たちはテレビで見た貼り紙を見つけることはできなかったのですが、現地のあちらこちらにはたくさんの貼り紙が貼られていて。一枚一枚の貼り紙に、人を助けたい、人の役に立ちたいという気もちがこめられていたように思います。その日は夕方近くまで撮影して大阪へ戻り、編集とMAをして完成。
局長室に呼ばれたその日から5日後に、オンエアすることができました。
公共広告機構/阪神・淡路大震災支援
男性:水、出てるよ、水。持ってって。そやけど、
生で飲まんといてな。ポンポンこわすよってに。
水、水出てるでー。水、持ってってー。
SE:(ジャーと水道を使う音)
男性:そやけど、生で飲まんといてな。
水、出てるよー。水、持ってってー。NA:人を救うのは、人しかいない。
S:AC 公共広告機構
自分たちに何ができるのか、見えないままに動き出したけれど、この作業に関わった人全員が走りながら考え、考えながら走った5日間だったと思います。