【前回記事】「仕事よりも子どもが大事、だけど遅くまで働く—博報堂クリエイティブ・ヴォックス 太田麻衣子さんインタビュー」はこちら
食品メーカーの社員からコピーライターに
—これまでの坂本さんのキャリアを教えてください。
私が最初に務めた会社は、食品メーカーでした。2年くらいで辞めてしまい、そこから何度か転職しました。広告業界は社会人になってから興味を持った業界。プロダクションに未経験で入社し、「コピーライター」という肩書きをもらったときは、「よし、こっちのもんだ」と思いましたね。肩書きさえもらえれば、スキルがまだ足りなくても経験者として次の会社に行けますよね。正直、スタートはどこでもいいと思っていました。
その後に勤めたプロダクションでは、重機やロケットといった商材を扱っている企業を担当しました。その会社に転職したときは、「ようやく広告らしいところに来たぞ」とわくわくしたのを覚えています。キャンペーンポスターなど、広告制作らしいことをするようになったのはこの会社からですね。そこはそこで楽しかったのですが、再び転職することにしました。
今、所属している一倉広告制作所には宣伝会議がきっかけでご縁があり、働くことになりました。自分に合っているようで、もうずいぶん長いことお世話になっていますよ。
—大手広告会社に転職するという選択肢はありましたか。
一倉広告制作所に入社する前に、大手広告会社からも内定をもらったのですが、結局行きませんでした。大手広告会社でコピーライターというと、花形ですし、それはそれで素敵ですよね。何百人も社員がいて、クリエイティブに異動するにはテストなんかもあるわけですし、仲間や部下もたくさんいる。ただ、私は大きい会社には向いてなさそうだと思いました。
一倉広告制作所は個人事務所ということもあり、「コピーライター 坂本和加」として仕事をしている、という気持ちを初めから強く持てましたね。そもそも社長が社名を背負っていますから、「恥ずかしくないコピーを書かなくては」という気持ちは強いです。いい意味で、崖っぷち。そう肝に銘じて仕事をしています。その分、大変なこともありますが、そこは一倉広告制作所のメリットであり、魅力だと思います。
30歳半ばで「結婚」を決意
—結婚や出産はいつ頃から意識されたのですか。
30歳を過ぎて、「そろそろ結婚しないと、ちょっとヤバいぞ」と思い始めました。それまでの生活が本当に楽しかったので、「もう満足した。じゃあ、次行こうか」と。その頃、ちょうどいいタイミングで出会いもあり、結婚したのは30歳半ばでした。
私たちの少し上の世代である「第2次ベビーブーム」の方たちが、結婚しなくてもいいような雰囲気を作ってくれていたので、遅くなりました(笑)。仕事ができるようになる20代後半からは、自由度がきいてきて、すごく楽しかったので。一方で、親や親戚からは結婚に関してチクチク言われることもあり、婚活しました。婚活と言っても、結婚を意識するようになっただけですが。
—お子さんは今、何歳ですか。
2歳と0歳の子がいます。最初は、子どもは1人でいいと思っていました。ただ、1人目が生まれて時短勤務になると「5時に仕事上がりってあと何年続くの?」と悩み、2人いれば上の子に留守番を任せられると思い直しました。私も夫も実家が遠いので、誰かに任せることもできません。それなら、子ども同士で協力してもらおうと。
上の子が1月に産まれた後、4か月後の5月に職場復帰しました。一般的なタイミングよりも早く復帰したので、早いうちに2人目を考えることができたのだと思います。また、私の住んでいる世田谷区は杉並区と並んで1番待機児童の多い区で、1歳児クラスから入れることは難しく、0歳児クラスから入れなければなりませんでした。大抵のお母さんは、3~4年空けてから2人目という方が多いのですが、育児はまとめて終わらせたいという気持ちもあり、年齢のことも考慮して、そのようにしました。
仕事の現場から離れるのが寂しかったし、怖かった、というのも正直ありました。当時も今と変わらず、仕事は本当に楽しくて、ずっと続けていきたいと思っていましたから。
続きは、『しゅふクリ・ママクリ』「できることが増えすぎて楽しくなった2人目」へ続く