自分がどこに連れて行かれるかわからないままつくり続けている
権八:何年か経っていても彼女の表情はちょっと覚えているんですよね。神木くんの表情、ラストシーン、屋上のシーンは東出くんとのやり取りなど、グッとくるシーンはあったはずなのに、でも顔は、松岡さんが意地悪そうに言った顔を覚えている。
吉田:ああいう人と思われてちょっと大変だったみたい。
権八:リアルすぎて(笑)。
中村:澤本さんも注目している。
澤本:注目というかすごく好きですね。
権八:お仕事もされていましたよね。セブン-イレブンの。
澤本:強引にお願いしますと。
吉田:あぁ、あれだ。恋人がサッカー選手のやつだ(注:セブン&アイ「ナナコとnanaco理容師」篇)。
権八:何か買って持ってくる子ってそれこそ(『桐島~』の)映画部の。
澤本:前野朋哉くん。
吉田:出てるんだ。前野くんは覚えてなかった(笑)。
一同:笑
吉田:前野くんは監督なんですよ。僕が初めて会ったのは韓国の映画祭で、監督として紹介されたんです。そのとき、彼の映画はジョン・ウーに大絶賛されていた。実際に面白いんですよ、特に短編。見てないですか?
澤本:見てないです。
吉田:彼の長編のDVDがあって、それに付いている短編がすごくいいんですよ。最近、役者の仕事が忙しそうで、監督業は大丈夫か心配になるくらい。
権八:やたら活躍してますよ。
吉田:よく顔見るから。いいけど(笑)。
権八:さっき吉田監督がスクールカーストや高校時代がどうだったみたいな話をしましたけど、仮説ですが、『パーマネント野ばら』、『桐島~』、『紙の月』にしても、中学や高校の思春期の頃に起きたことや、罪じゃないですけど、そのときに思っていたことが後の人生において決定的なんだと思っていませんか?
吉田:あぁ~。
権八:要するに、共通することは何かなと思ったんですよ。大八さんの映画って、たまたまかもしれないですけど、『パーマネント野ばら』だったら女子高時代のことをずっと菅野美穂ちゃんがひきずってたり。それはもちろん原作もそうなのかもしれないけど。『紙の月』も平愛梨ちゃんの妹の子のシーンや寄付の話も。クライマックスでまた出てくるじゃないですか。そういう10代の頃の何かがずっと影響する…。
吉田:10代なのか、もっと小さいときなのかわからないけど、結局、人って変わらないと思います。自分のことでも、他人でも。結局、自分って全然変わらなかったなと思うことが凄く多くないですか。
権八:あぁ。
吉田:いろいろあがいても、気づけば同じ道を行ったり来たりしているような感じは年々強くなってます。
権八:そうやって人間のことをいつも考えているのか、紐解きたいなと思って。
吉田:人間以外の何を考えるの(笑)?
権八:僕は子どもが産まれたばかりで、子どものことばかり考えるんですよ。大八さんの映画を見ていても子ども目線でも見ちゃうし。すごく良い映画をつくられていて、普段どういう眼差しで人のことを見たり、考えたりしているのだろうかと気になりました。
吉田:家庭を持つと感情のレンジって多少の変化があるでしょ。他人だった人と暮らすのもそうだし、子どもができたらさらに思い通りにならないことも増える。影響がなかったとは言いませんけどね。でも、10代のときの自分と何が変わったかと考えたら、やっぱり変わらないと思うことが多かったりして。あと1つ言えるのは、やりたいことが映画になっているわけじゃなくて、映画を作りながら、何がしたいのかを考えている。一体これはどこに向かってるんだろうと。
中村:じゃあ原作を見て、初めに登場人物のこの感情を描きたいからやるというのがビシッとあるわけではなくて。
吉田:ヒロインが走るところを見たいとか、この瞬間の顔を見たいというのはたぶんあるんですね。それが結果的に、どういう意味を持つ映画になるんだろうと。映画をつくりながら、あるいはつくり終わった後にどういう気持ちになるのかということは予想がつかない。結局自分がどこに連れて行かれるかわからないままつくり続けている。
権八:へー。
吉田:映画だから許されるのかもしれない。CMと違って、こういうものをつくりますよという約束って、あってないようなものだから。そこが許されていることは、自分にとっては大きい。