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能村 夏丘(のうむら・かきゅう)
麦酒企画 創設者・代表取締役CEO
1981年、東京都板橋区生まれ。上智大学中退後、セールスプロモーション会社に入社。5年間勤務した後、同社を退職し、麦酒企画を設立。「街のビール屋さん」をコンセプトとしたビール店を都内で6店舗運営する。
“街のビール屋さん”にしかできないこと
西荻窪、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、中野と、中央線沿線エリアで手づくり・出来立てのビールを手ごろな価格で飲むことができる「麦酒(ビール)工房」を展開している麦酒(ビール)企画。
大手メーカーは、大規模な醸造工場で大量にビールをつくり、小売店や飲食店へと一斉配送するのが一般的だが、ビール工房では、各店舗でビールの仕込みを行う。どの店舗も同じ原材料を使い、同じ工程でつくるが、仕上がりは店舗によって微妙に異なる。その街の住民となり、その街を愛する人が、その街の人のために自家製ビールを提供する——コンセプトは、地元に根付いた「街のビール屋さん」だ。
「大手メーカーがつくるマス向けのビールと、ここでしか飲めない自家製ビール。どちらでも好きなほうを選ぶことができ、どちらも手軽に手に入れることができる環境は、ビールを飲む人にとって価値になる。大手と同じことをするのではなく、麦酒工房にしかできないビールづくりを貫くことで、お客さまに選択肢を提供したいと思っています」と代表の能村夏丘氏は話す。
以前、セールスプロモーション会社に勤めていた能村氏。営業担当として、大手ビールメーカーの営業社員とともに飲食店をまわる日々の中、次第に「自分がつくったもの」を売りたいと考えるようになったという。「クリエイティブでものを売るのも、もちろん面白いのですが、自分がつくっているものはビールそのものに比べて、なんて実態のないものなんだろう…と感じることがありました」と能村氏は話す。
そうして5年前に5年間務めた会社を退職。営業時代は多忙な日々で、自分が本当は何がしたいのか、何が好きなのかをゆっくり見つめなおす時間もなかった。「自分の価値観を取り戻そう」と半年間は“専業主夫”として家事に没頭、家族のために毎日の食事の用意をするうちに、生命と密接に関わる「食」の世界の魅力を改めて感じるようになったという。
何らかの形で衣食住に関わる事業を興したい——そう考えた能村氏が、最終的に「食」の世界に至ったのは、消去法で残ったからだという。「建築士として、寝食を忘れて図面を引いていた父の姿を思い浮かべると、当時30歳だった自分がそこから追いつくのは難しそうだと思いました。ファッションには無頓着なので『衣』も除外。結局、元々好きだった『食』が残ったのです」と能村氏。
ビジネスプランは「マークシート」で決めた!?
広くて深い「食」の世界で、自分は一体何を仕事にするのか。それを絞り込んでいくのに使ったのも、やはり消去法だったという。まず、考えつく限りの「食」に関わる仕事を、五十音順に書き出していった。すべて書き出したら、「その仕事をしている未来の自分が想像できない」ものを除外していった。当時は、ビールが自分でつくれるものだとは思いもしなかったので、実はビール屋はリストに入っていませんでした」。そんな折、旅先で出会った地ビール職人が、能村氏の運命を大きく変えた。「ビールってつくれるのか!」と衝撃を受けた能村氏は、迷わずビールづくりの道を進むことを決めたという。「自分の手でつくり、自分の手で目の前の人に届ける。自家製ビールづくりは、そんなものづくりの醍醐味を感じられるに違いないと思いました」。
そうして能村氏は、「街のビール屋さん」を開く準備を開始。まずは都内各所の図書館をまわり、「ビール」と名の付くあらゆる書籍を片っ端から読み漁った。ビールにまつわる音楽を聞き、ビールにまつわる映画も観て、ビールを出す飲食店に徹底的に足を運んだ。「会社員時代に営業先として回っていた飲食店にも、今度は『ビールをつくる』人の立場でもう一度足を運びました。かつてはプライベートでも1日3軒はしごするのが当たり前でしたから、行く店は無限にありましたね」。
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