「コピー」だったコピー年鑑
人見知りはしないし、性格も積極的。おまけにしゃべるのも好きとなれば、会社に入ってすぐの配属が営業なのもしかたないだろう。たとえコピーライターになりたいと望んでいたとしても、企業側からすれば適性を見れば営業向きという判断だ。
だからといってコピーライターになることをあきらめることはなかった。たいていの同期はクリエイティブ局を希望していても、1年経てば希望者は半分に減り、2年経てばさらに半分に減った。競争は減ったという言い方もできるかもしれない。その間にやったことといえば、先輩コピーライターを社内で紹介してもらい、毎月200本ずつコピーを見てもらったことと、宣伝会議賞の時期になれば、昼休みに六本木のスタバにこもってたくさんのコピーを書いたことくらいだ。宣伝会議賞は休日もつぶして応募の準備をし、当時はまだ郵送だったので、800本以上のコピーを段ボールで送った。自信だけはあったが、結局3年出したものの、ファイナリスト止まりだった。
そのうちにその先輩から「TCC新人賞って知ってる?」と言われた。そんなものは知らなかった。「営業なんだから、自分で営業してコピー書いて、応募すればいい」。なるほど。そんな手があるのか。でも本社から離れた私の部署にコピー年鑑はなかった。調べると、電通の図書館にあった。過去10年分のコピー年鑑のグラフィックのコピーだけを、コピー機で、すべてモノクロでコピーした。
毎日そのコピーを見ては、真似しながら仕事でコピーを書いた。コピーとは何かを理解せずに、ただ企業が抱える課題に向けて書いた。200本ずつ書いては先輩に見てもらった。いいコピーは1本もないと言われた。また200本書いた。まだないと言われた。さらに200本書いた。1本だけいいと言われた。なぜだかわからなかった。1100本書いて、5本を選んでくれた。ADにポスターを作ってもらい、クライアントにプレゼンをし、無事5枚のポスターが掲出された。半年後、TCC新人賞を受賞した。クリエイティブ局へ異動し、コピーライターになった。