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近頃、「遊び」が足りないぁ、と痛感します。自分も、業界も、日本も、社会も。
遊びをわざわざ、「」でくくったのは、「パーっと行きましょう、今晩あたりとか」、「取っちゃうもんねぇ大休暇」とか、「ゴルフのち焼き肉だよ、今度の日曜」とか、そういう遊びじゃない「遊び」のことです。
辞書で言うところの、<機械の連結部分が,ぴったりと付かないで少しゆとりがあること。例:「ハンドルの-」>。ま、これなわけです。わざと、ゆるーくつくってあるのが、ポイントなんですね。で、すべての運動する機械は、この「遊び」がどこかにはいっているんだそうです。
おもしろいと思いませんか。精緻に動かすためには、わざと柔軟なゆるい部分を一生懸命考え抜いてつくってあるわけです。「遊び」は知恵の結晶でもあります。
最近、企業と社会、商品と人、その連結部分はどうなっているんでしょうか。まさに僕らの仕事ですね、その連結をこしらえるのが。ブランディングなんて言われている絆づくりも同様。グローバルな外食産業が、トラブルが原因で、なかなか信頼性を回復できないというようなニュースを見るにつけて、この連結部分の大事さを思います。マジメにきちっと対応しているにもかかわらず、うまくいかない。汗水たらしてやっているのに・・・正しいことをしているはずなのに・・・理屈はあっているのに・・・。
話は飛びますが、この「遊び」を巧みに使うのが(使えるのが)、65歳以上の年代です。その年代をなんと言ったらいいのか、簡単にいうと、青春を学園紛争のなかで過ごし、ほの暗い喫茶店で哲学を語り、広場でフォークを合唱し、ひとりでも世界は動かせると半ば本気で思っていた人たちです。
「おまえさ、たかが広告だろ、そんなに悩むことないんじゃないか」。「たかが広告だと思ってないから、コピーがうまく書けないんだよ」。「とりあえず、メシ食ってから会議でもやるか」。「3日休んでどこへでも行ってきなよ。そうしたら答えは見つかるよ」。そんな類いの言葉をCDやADになったその年代の人々に爆弾のように仕込まれたものでした。そのくせ、チームはビッグな広告賞を立て続けに穫っていたりして。まさに、彼らのハンドルには「遊び」があったと思うのです。
続・話は飛びますが、シャーロック・ホームズのワトソン博士。久しぶりに原作を読んでいて、彼も「遊び」だと気付きました。ホームズの物語は、作者コナン・ドイルが語っているのでもなく、ホームズが一人称で語っているのでもなく、ワトソン博士が一人称で語っているものがほとんどです。名探偵ホームズと読者の接点は、お人好しのワトソン博士で、だからこそ、ホームズの推理への驚きと能力へのリスペクトと彼への友情がリアルに好ましく描かれているのです。「事件だよ、ワトソン君!」。あのワクワク感、たまりませんね。
昨年、パラオ共和国へ行ったときの話。玉砕の島ペリリューへいつかは行こうと思っていた、その夢をかなえに。船で本島から2時間。赤道直下のギラギラの船着き場に着くと、待っていたガイドのおねえさんが、「黒澤さんお二人と〇〇さんお二人ですね、お待ちしてました!マイクロバスはこちらです!」。
バスの前に着くと、ニコニコしながら「すいません、実はクルマのクーラーが壊れてしまって。片側の窓全開でいかせてください!」。えーっ、マジかよ、と思うものの仕方なく乗り込み、いざスタート。信号もなく対向車もめったにない島ですから、もう危険度ゼロ、大気がバンバン入って気持ちのいいこと!!ゆるいんです、それが快適。日本人が考える、まじめな「熱い→冷房必要」、「クルマ→ドア開閉禁止」という考えの道筋から自由なんですよね。ま、写真をのせたので、見てください。楽しそうに、南洋の風を全身に受けながら走っているのがわかるかも、と思います。
今こそ、必要なのは連結部分の「遊び」ではないでしょうか。
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