“CM界の奇才” 山内ケンジさんがソフトバンクの白い犬の選考理由を語る!(ゲスト:山内ケンジさん)【前編】

ソフトバンクの白い犬を決めたのは山内さんだった!

澤本:ソフトバンクで最初にやったのが一番印象深いですね。いくつかWOWOWをやってもらったりしてますけど、やっぱりソフトバンクかな。

山内:僕は最近、映画の取材で「ソフトバンクの白戸家のCMの人」とよく言われちゃって。言うことないから、それだけ冠が付いちゃったりするんだけど、つくってるのは澤本さんと佐々木さんなわけで。僕はディレクターで、しかも白戸家の最初の2年ぐらいやっただけ。その後いっぱいディレクターはいるので困ったなと。

澤本:うん、でも、最初のCMのときにお父さんを選んだのは山内さんなんですよ。あの白い犬。オーディションして選んでくれて。

山内:オーディションというか写真選考ですけどね。

中村:たくさんの白い犬の写真ですか? ポメラニアンが入っていたわけではない?

山内:洋犬が多かったですね。タレント犬だからセントバーナードやラブラドールなど、洋犬の白い犬ばかり。その中で、北海道犬で、しかも2匹いるという。和犬は北海道犬だけだったんですよ。お父さんは和犬のほうがいいし、ダメでも2匹いるから。赤ちゃんの撮影ではよく2人使うでしょ。

澤本:ダメだった場合にね。

山内:だから、それに決めたんです。写真だけだから、実際にどれぐらいできるのかなんて全然わからなくて選んじゃったんですけど。

中村:一回スタジオにも来ましたね。

権八:あのときも大変でしたね。一回ラジオにゲストで来てもらって、カイ君に。全然成立しない回でしたね。

澤本:何もしゃべらなくて。

権八:当たり前ですけどね。

山内:本当に何もできなくて、お座りさえできなくて。だから撮影初日に朝になっちゃって、僕は合成にするという判断をしました。それから撮影の仕方がそういうシステムになったんですよね。

澤本:そうです。最初は全部ライブで撮ろうとしたんだけど、全く言うことをきかないから合成に。山内さんが判断して変えてくれて。でも、おかげで今まで9年続いてますから。

権八:でも、途中で山内さんは少しずつ離れられていったと。

澤本:演劇を中心の生業にされていたので。

山内:生業にもなってないですけど。

中村:山内さんはCMディレクターの他にも2004年に結成した演劇プロデュースユニット「城山羊の会」で脚本・演出をされていて、今年はなんと岸田國士戯曲賞を受賞されました。

一同:拍手

澤本:すごいよね。

権八:おめでとうございます!

山内:ありがとうございます。歴代で最高齢なんですけどね。あれは新人のためのというか、演劇界の芥川賞と言われている。

中村:ちょっと前だと松尾スズキさんが獲られたのが記憶に。

山内:松尾さんは随分前ですね。

権八:よく聞かれることだと思うんですけど、CMディレクターとしてやられていて2004年というと相当・・・。

中村:やられた後ですよね、CMディレクターとして。

権八:よくCMをやっていて、ある段階で映画に行く人も多いじゃないですか。

山内:多いというか一般的ですよね。

権八:でも、山内さんは演劇のほうに行かれて。そのへんの経緯はどうだったんですか?

山内:やっぱりCMで大活躍していたので。

一同:

山内:商業映画の話は当然あったんですよ。原作読んで、脚本読んでと。でも、案外、途中でなくなっちゃったりして。同時に演劇は昔からやりたかったんです。小劇場ブームの頃に育って、たくさん見ていたので。CM制作会社に入ったのも演劇の影響です。

権八:そうなんですか?

山内:つかこうへいの作品に出ていた風間杜夫さんや平田満さんがいきなりアサヒビールのCMにドーンと出たんですよ。それが衝撃で。その頃、風間さんや平田さんはドラマにも全く出ていないから、つかこうへいの役者としてしか知らないわけですよ。それがいきなりCMに出たのですごいと。CMはこういうことができるんだと思って、それで電通映画社を受けました。だから演劇はいつかはやりたかったんです。

次ページ 「絶賛相次ぐ12月公演の演劇『水仙の花』」へ続く

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