【前回】見えない10億の仕事より、自分の手から100円のものを売りたい。(牧野圭太さん)はこちら
今回のゲストについて
今回のゲストは、ネットで話題を呼び書籍化された「サラリーマン山崎シゲル」の著者、田中光さん。そしてNEGO6という名でイラストレーターとして活動するネゴシックスさん。お笑い芸人でありながら、職種を越え表現を横断しながら生きているふたりに、世の中に対して面白いことを仕掛けるヒントをもらいにいきました。
※このインタビューは五反田contentzでのトークイベントをまとめたものです
ネゴシックス 島根県出身
本名、根来川悟(ねごろがわ・さとし)。島根の山、川、沼の地帯で20年暮らし育つ。20才のときに地元・島根から大阪へ移り住む。
NSC(吉本養成所)に入り入学式のとき隣にいた神戸出身の五十嵐君とコンビを組むも1mmもウケず速攻で解散の後、ピンデビュー。7年大阪で活動して東京に拠点を移す。東京に住んで4年経ち、ネゴシックス個展「ビル」を開催。
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田中光(たなか・ひかる) 京都府出身
京都精華大学芸術学部版画学科を中退しお笑いの世界へ。幼なじみと、ゼミナールキッチンというコンビを結成し、大阪よしもとで10年活動した。活動の場を東京に移し、アボカドランドリというトリオを結成。現在は、ピン芸人・タナカダファミリアとして、グレープカンパニーに所属。
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漫才より絵のほうが表現できる幅が広い。
長谷川:今日はよろしくお願いします。最初の質問なのですが、お二人の肩書きはなんですか?
田中:漫画家兼、芸人と言っています。漫画のほうが所得が上なので…。「サラリーマン山崎シゲル」を出版してからは、普通の漫画家のようにネームを描いて漫画雑誌に連載したり、企業とのタイアップなどもしています。
ネゴシックス:僕も、仕事の割合はお笑いよりイラストのほうが多いですね。イラストの仕事は4年前に始めたのですが、だんだん依頼が増えてきました。依頼は、自分の顔を描いてくれとか、誰かへのプレゼントとか、個人の方が多いです。でも僕の絵は、誰を描いても目、鼻、口が同じなんですけどね(笑)。
長谷川:二人とも、もともと絵を描くのは好きだったんですか?
ネゴシックス:高校生まで、漫画家になりたかったんですよ。でもなかなか上手く描けなくて、自分で表現したほうが早いなと思ってお笑いのほうに来ました。大阪のNSC(吉本総合芸能学院)に入ったのは20歳のときですね。
田中:僕もけっこう似ているかもしれません。小学生の頃は漫画家になりたいと思っていました。その後、芸術方面に興味を持って美術大学に進学し、1年通った後に辞めてNSCに入りました。
長谷川:どうして大学を辞めたんですか?
田中:大学では版画を専攻していたのですが、版画を彫りながら「ちょっと待て、これは年をとってからでもできるな」と思ったんです。若いうちに、自分が思いついたことを人前でやって「俺が思いついたんだぞ」と感じたくて。
長谷川:ふたりとも、もともと絵を描く職業を目指していて、そこからお笑いの世界に入ったんですね。でも、どうしてまた絵を描くことに戻ってきたのでしょうか。
田中:お笑いの世界に入ったはいいものの、自分の表現力に欠点があるなと気づいてしまったんですよね。僕、今は良くなりましたが、大阪で活動していたときはすごく暗かったんです。自分でも、誰がテレビで暗いやつ見たいねんと思いました。
僕にとっては、絵のほうが表現できる幅が広いんです。言葉はイメージさせなければいけないけれど、絵はイメージをそのまま見せてしまえるので、見せられる側の想像力がいらないですし。
ネゴシックス:いちばん自分を出しやすいものを見つけられたのが、すごいよね。
田中:僕もネゴさん(ネゴシックスさん)も、お笑いとイラストを並行してやってきましたよね。最近、うまいこと歯車が回り始めたような気がします。