「入社4年目の妊娠で、キャリアに不安を抱くも…」 博報堂 矢野真理子さん

【前回記事】「サン・アドのクリエイティブ職で初めて育休復帰 -コピーライター 笠原千昌さん」はこちら

クリエイティブを一生の仕事にしたいと考える人に、今後のキャリアを支援するプロジェクト「しゅふクリ・ママクリ」。今回のゲストは、博報堂に勤めるストラテジックプラナーの矢野真理子さんだ。理系の大学を卒業し、就活当初は研究機関の広報を志望していたという矢野さん。ユニークな経緯をたどって広告業界にたどり着いた、これまでのキャリアと結婚や出産にまつわるエピソードを聞いた。

広告業界に入ったきっかけは「科学」

——矢野さんの今までのキャリアを教えてください。

博報堂 矢野真理子さん

私は2009年に博報堂に入社して以来、ストラテジックプラニング局に在籍しています。ストラテジックプラニングは「こういう仕事です」という定義はないのですが、私はこの仕事を「誰に」、「何を」、「どのように伝えるか」というコミュニケーションの基幹を設計する仕事だと解釈しています。

その商品やサービスは、だれに届けたら一番喜ばれるだろう、世の中で輝くものになるだろう、ということを考えるにあたって、調査やデータを参考にすることはもちろんですが、自分自身がこれまで見て触れてきた経験がもっとも役に立つ材料です。自分の中にあるものをフル動員して、商品やサービスを一番魅力的な形で発信できるよう、日々取り組んでいます。

——もともと広告業界を目指していたのですか。

実は、広告業界は就職活動の最後にたどり着きました。最初は、科学系の研究機関の広報になりたいと考えていて、OB訪問を何度もしていました。
私自身は理系の大学出身なのですが、理科が得意という訳ではありませんでした。高校時代に所属していた演劇部で上演した宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をきっかけに宇宙に魅了され、宇宙に関する勉強がしたいという一心で、物理学部に補欠で滑り込んだのです。

本格的に大学で学んでいく中で、地球の磁場に興味を持ち、より研究環境が整った別の大学の大学院に進学しました。しかしそのうちに、研究を極めるよりも、自分が高校時代に宇宙に興味を持った時のように、一般の人が科学や物理に興味を持ってもらえるように、難しい話ではなくて、面白いところを伝えていく伝道師になりたい、と思うようになりました。

そう思うようになった矢先に出会ったのが、「サイエンスコミュニケーション」です。サイエンスコミュニケーションは、「専門知識を分かりやすく一方的に伝える」のではなく、相互にやりとりしながら、相手のパーソナリティや興味範囲を把握し、その文脈の中で、科学的なテーマを議題にコミュニケーションをする方法だと私は理解しています。

大学院時代は国立科学博物館で、サイエンスコミュニケーションの勉強をしていたのですが、その際にお世話になった先生からテレビ局の科学記者を紹介してもらい、その方を通じて、科学やテクノロジーに興味を持ってもらうための伝え方を考える仕事があると知りました。そこでテレビ局や新聞社などにも目を向けるようになり、その先で出会ったマスコミ志望の就活生を通じて、広告業界や博報堂の存在を知りました。

テレビ局は番組、新聞なら記事、と、伝える場が限定されているのに対し、広告なら媒体にこだわらず、伝えたいことを届けるためのベストな方法を自由に探ることができるのではないかと感じ、面接直前の志望変更でしたが、幸運にも採用され、今に至ります。新入社員時代は、社内でも非常に優秀な先輩の下につかせてもらい、忙しくて帰れない日もありましたが、仕事は楽しかったので全く苦にはなりませんでした。むしろ、もともと「伝え方」について考えるのが好きだったため、好きなことをしてお金がもらえるなんて幸せ、と思っていました。

計画的な妊娠と家族の祝福

——結婚や出産を考えたのはいつ頃でしたか。

結婚は入社3年目の終わりくらいですね。夫は私の同期の友達で、入社してから知り合いました。出会った当時の夫は建築士の卵で、個人事務所で修行していたので、シャワーなし、共同トイレの格安物件に住んでいたのですが、彼はそんな環境に住んでいることが信じられないくらい、とても綺麗に暮らしていて、その生活力の高さに圧倒されてしまいました。

夫も当時の自分自身が収入的に不安定だったこともあり、私が働いていることについて肯定的に捉えてくれたため、そうした意味でもお互いに波長が合い、結婚しました。

子どもは、夫婦二人とも欲しいと思っていました。うちの会社では先輩方を見ていると、だいたい入社して10年目くらいで出産する方が多いのですが、子供のためにも、自分の体力的にもできれば早めのほうがいいなという気持ちはありました。

博報堂には4年目と8年目に異動をする人事制度があり、なんとなく、そのタイミングでうまく休めるように妊娠できれば、今いる部署にも、異動先にもあまり迷惑をかけずにできると思っていたら、まさかのぴったりのタイミングで妊娠。周囲から「どれだけ計画的なの?(笑)」とつっこまれましたね。

正直、私自身まだ入社4年目の修行中の身で、そうした前例もほぼなかったので、この時期に産休に入っていいのか、キャリアは大丈夫なのか、と不安になったことももちろんありました。けれど、妊娠を伝えたときに両親も夫もすごく喜んでくれて、「やっぱりこれは嬉しいことなんだ」と、自分の気持ちを切り替えることができました。

社内の反応もすごく好意的でした。世間で言う「マタハラ」のようなことは感じませんでしたし、そういう会社ではないと思います。男性も含めて子どもがいる人が多いので、全体的に「おめでとう」という雰囲気でした。

続きは、『しゅふクリ・ママクリ』「妊娠・出産の記録」へ続く

矢野真理子

1984年生まれ。入社より、主に自動車、食品、精密機器、化粧品などのブランディング、広告戦略策定、新商品開発業務を担当。プライベートでは生活者に学生時代に足を踏み入れたサイエンスコミュニケーションの世界で、科学技術をテーマにした生活者と専門家の相互理解を促進する活動に従事。

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