【前回記事】「プロのコトバには「電波がある」、相手の感性に「ピッ。ピッ。」」はこちら
洗濯機に新しい価値をつけた「社会観」
仕事の成否は、オリエンテーションの受け取り方にあることは百もご承知だと思う。オリエンテーションに忠実で「こんな企画を待っていた」と喜ばれることもあるが、オリエンテーションに「+サムシング」をすると、プレゼンが際立って有利になることがある。そのいい例が、日立家電の洗濯機「静御前」であった。
オリエンでは新製品の洗濯機の技術的ポイントとして、①洗浄力が高まった、②洗濯時間が短縮、③モーター音が低音、という3つが挙げられていた。この新製品のネーミング・コンペであった。他社は①、②から考案したものだったが、私達は③に絞った。
理由は、働く主婦が3人に2人という時代になっていて、帰宅後洗濯する主婦が増えてきているという洗濯実態の変化を、身をもって知っていた。また、集合住宅に住んでいれば夜の洗濯機のモーター音、排水音を気にしながら洗濯するという実態。このような社会情勢の裏付けをすることで、男性ばかりの宣伝部は想定外の戦略を受け入れた。静音設計を正面に据える戦略「静御前」というネーミングである。残業や飲み会で遅く帰ることが増えた女性に「静御前」はヒットした。
企画立案には、社会観、世界観、人生観の三つが大切だと思う。今、世間で起きている「社会観」に立脚したことで、「静御前」という洗濯機が集合住宅で王座を占めた。
土屋耕一さんの「世界観」、眞木準さんの「人生観」
一方で、オリエンテーションをいただけないケースもある。いい企画があれば持っていらっしゃい、と。私が携わっていた、昔のサントリーはそうだった。このような場合は、先の「三つの観点」から企画を考えるしかない。
コピーライター・土屋耕一さんの伊勢丹の広告を見ると「今、伊勢丹はこうあるべきです」、という「世界観」から企業広告を提案したのだと思う。
「なぜ年齢をきくの」(伊勢丹)
広告出稿の1975年に、アメリカでは既婚か未婚かで女性を区別するのはおかしいと、「ミズ(Ms.)」という呼称一つにしよう、という風潮になった。日本ではマスコミの記事に必ずかっこ付きで年齢が書かれる。若さに価値を置くような男性社会の線引きに対して、土屋さんは、伊勢丹が女性の代弁者となることを提案したのだ。
「女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。」(伊勢丹)
このキャッチフレーズの背景には、田部井淳子さんが世界で女性初のエベレスト登頂に成功、樋口久子さんが全米女子プロゴルフ選手権で優勝など、世界で素晴らしい実績を示す女性が増えてきていた。女性には無理とされていたフルマラソンでさえ、「東京国際女子マラソン」で走り切った。海外の女性ランナーが底力を見せたのだ。
眞木準さんのコピーには「人生観」が感じられる。
「恋を何年、休んでますか。」(伊勢丹)
「恋が着せ、愛が脱がせる。」(伊勢丹)
「何人まで愛せるか。」(伊勢丹)
同じ伊勢丹の広告でも土屋さんと眞木さんでは立ち位置がこんなにも違う。眞木さんの心には、ターゲットである女性の恋愛模様とファッションが常にテーマに映っていたのではないか。伊勢丹宣伝部から特にそのようなテーマで、というオーダーではなかったと思う。というのは、サントリー缶ビールの広告でも「恋愛×商品」の形をとっているからだ。
「カンビールの空きカンと破れた恋は、お近くの屑かごへ。」(サントリー)
眞木さんは恋に破れてもあっけらかん、もう1缶買えば、いえ、もう一つ次の恋をすればいいのよ、と女性に応援歌を送っている。眞木準というと隠喩の大家のように言われるが、根底には「人生観」がある。仕事が発生したら、自分の発想の立ち位置から考え、クライアントを説得してみようではないか。
社会観、世界観、人生観。「三つの観」のどれかに意外とヒントを見つけられるものだ。
脇田直枝
コピーライター。元電通EYE社長。
早稲田大学卒業後、フリーを経て電通入社。男社会の牙城だった広告業界で女性だけの広告代理店、電通EYE を設立、代表取締役を務めた。集英社『COSMOPOLITAN』創刊時、「この雑誌には、エクスタシーがある」という広告コピーをはじめ、国鉄、サントリー、松下電器、など数多くのキャンペーンを手がけ、時代時代で女性たちを鼓舞し、牽引してきた。2000年東京都「第2回男女労働者に優しい職場推進企業 能力活用特別賞」、2001年モンブラン社「第1回ビジネス・ウーマン・オブ・ザ・イヤー賞」、2003年「第43回日本宣伝賞吉田賞」など受賞。