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海外で活躍する日本人に会いに行く
数週間前のことになりますが、毎年この時期に行われる映画の祭典、アカデミー賞。今年は長編アニメ部門にて「思い出のマーニー」がノミネートされたことが話題になりました。昨年は同部門にて「竹取物語」がノミネートされたこともまだ記憶に新しいのではと思いますが、短編アニメーション部門にて「ダム・キーパー」という、もうひとつの日本人監督による作品もノミネートされていたのを皆さんご存知でしょうか?
「ダム・キーパー」は、大気汚染の闇から街を守る「ダム」を管理する主人公のブタ、そして転校生のキツネ、その二人の友情を描く18分の短編映画です。フレームの一枚一枚が手で描かれ、その美しい描写と感動的なストーリが話題となり、世界中の映画祭で賞を総ナメ。その後アカデミー賞にもノミネートされました。その映画の監督と努めたのが堤大介さんと日系アメリカ人のロバート・コンドウさん。お二人はアニメーション会社の最王手「ピクサー」で長年アートディレクターとして務める傍ら、個人制作でこの短編映画を完成させました。また1年半前には二人でピクサーから独立し、「トンコハウス」というスタジオをここサンフランシスコの対岸に位置するイーストベイにて設立し活躍されています。(ちなみにピクサーもここイーストベイに居を構えています。)
ピクサーから独立し、自らのスタジオをはじめられた堤さん。またつい先日発表された川村元気原作の新作「ムーム」は、すでにカナダ国際映画祭にて最優秀アニメーション賞を受賞するなど、その活躍はアニメーションの世界に限らず映画界から注目されています。そんな堤さんをトンコハウスのスタジオに訪ねました。
アメリカへ来たきっかけ
川島:堤さんはそもそも何がきっかけでアメリカへ来られたんですか?
堤:高校時代、僕はずっと野球をしていました。それで受験勉強は全くしていなかった。僕が高校を卒業した93年はちょうど留学ブームの真っただ中。受験で大学に行けない人は留学するっていう道があったんですね。それにうちの姉が先に留学していたから、なんとなくそういった選択肢も頭にあった。野球自体は別に強豪校というわけではなく、むしろ弱小校。だからそれを理由に受験勉強をしないっていうのは、ある意味で現実逃避だったかもしれない。ただ一方で、今振り返れば日本の大学にあまり魅力を感じてなかったというのが正直ありました。日本の大学って、大学に入ったらサークルに入ってバイトをするっていう印象がすごくあり、僕はそれにあまりピンとこなかった。
でも本音を言えば、正直そこまで深くも考えてもなかったかもしれない。自分は留学するって宣言することで、まわりに僕は将来のことを考えているって思わせようとしてたのかもしれない。でも結局のところ、そんなことを考える余裕もないほど野球に打ち込んでいました。
川島:それまでに海外、アメリカに来たことはありましたか?
堤:親戚がアメリカに住んでいたので、小さい頃に来たことはあったけど、留学が目的で来たことはなかった。ただ姉もすでにアメリカに来ていたし、母親も英語が話せたりと、遠い存在ではなかったですね。母親からは「高校を卒業したら家を出なさい。可能であれば日本を出なさい」ということを昔から常に言われてきた。小さい頃から朝の目覚ましはNHKの英会話、そういう家庭ではありました。
川島:じゃあ小さい頃から、外国に行くという選択肢がオプションであったんですね。
堤:そうかもしれないですね。僕が育った家庭環境は、ちょっと変わっていたところがありました。両親は小さい頃に離婚をしていて、女手一つで育てられた。母親は昔から、「勉強をしない、しなくていい」そういう風潮の日本の大学システムについて懐疑的なところがあったし、「日本を変えるなら外から変えないといけない」というようなことをよく言っていた。直接「どうしろ、ああしろ」っていうことは言われなかったけど、少なからずそういう環境の影響はあったんじゃないかと思います。
川島:それでニューヨークに留学された。なぜニューヨークへ?
堤:最初はコミュニティーカレッジ(二年制の公立大学)に留学しました。当時は日本経済のバブルがはじけたころ。まだ円高だったとはいえ、母親が経営する会社も傾いたり経済的にはかなり苦しかった。ただ母親もずいぶん無理をして留学をサポートしてくれました。とりあえず金銭面でまだ経済的に可能なチョイスであるコミュニティーカレッジで留学をスタートしました。それにまだ何を勉強したいのかもわからかなった。英語ができなくても簡単に入れるっていうのも理由の一つでした。とりあえず来ちゃえば、その後の道は開けると思って。それにニューヨークと言っても、ニューヨーク州の郊外。ただニューヨークっていう響きがいいみたいな、本当にその程度の理由です。