1人ノースリーブに短パンで卒業写真に写っている沖さん
澤本:僕もスカパラがどういう過程でできていったのか知らないんですよ。おきんきんは早稲田でやってたんでしょ。それがどうやって慶應の方々と?
沖:スカパラのASA-CHANGという創設者がいて。もうやめちゃったんですが、東京スカパラダイスオーケストラというバンド名もASA-CHANGがつくったものだし、そのマインドはずっと残ってると思います。亡くなったドラムの青木達之が、ASA-CHANGが当時ヘアメイクアーティストをしていた美容室に通ってたんですね。髪を切りに行っていて。
澤本:もともとお客さんだったってこと?
沖:もともとお客さんで。当然のように音楽の趣味が繋がって、青木と僕は高校、大学のときにずっといろいろなバンドをつくっては壊したりしていたので。ベースの川上つよしやバリトンの谷中敦ともずっとやっていたところをASA-CHANGのコンセプトに吸収されたみたいな形ですね。そこで繋がったという。
澤本:じゃあ、東京スカパラダイスオーケストラというのもASA-CHANGのネーミングなのね。
沖:そう。澤本と大人になって再会したときに「東京と付くバンド名がいい」って感心してくれていて、やっぱり着眼点が鋭いなと、久しぶりに会ったときに思った。
権八:確かにバンド名かっこよかったですね。斬新というか。
沖:そうですよね。僕も青木に会って、ASA-CHANGが東京スカパラダイスオーケストラというのをつくったと聞いたときに、名前だけ聞いていい名前だなと思って。頭にパッと情景が浮かぶというか。やりたいなと思えるというか。名前は大事ですよね。
中村:小学校を卒業してから一回ちょっと疎遠になって、また大人になって再び出会ったのだと思うんですが、大人になっての活躍を見て、変わったな、変わってないなと思う部分はありますか?
澤本:変わってないと思う部分はもちろんあるよ。おきんきんは何をやってもできたんだよね。運動しても人より高く飛べるし、足は速いし、絵を描いてもうまいし、という。
沖:うーん、どうだったかなぁ(笑)。
澤本:でもね、髪型は変わってた。
中村:どんな髪型だったんですか?
権八:卒業アルバムがここにありまして。
澤本:富士見台小学校の卒業アルバム1979年の6年4組の集合写真で、1人だけおきんきんがノースリーブ(笑)。冬に撮ってるのに。
権八:卒業の時期に撮ってるんですもんね。
沖:ここにもう1人写ってる、この清水くんとどっちが最後まで夏からノースリーブをキープできるか、というのをやってまして。最後に僕が残ってるから、たぶん僕だけ(笑)。
澤本:優勝だね。ノースリーブに短パンだよ。
中村:いましたね、小学生の頃にそういう子(笑)。
権八:僕もそれやったことあります。小4のときに。
沖:この後、40度の熱を出し、1週間、学校を休んで(笑)。
権八:この写真と言えば、澤本さんも一緒に写っていて。
澤本:様子が違うでしょ。
権八:だいぶ今と面影が違いますけど、髪型もなんか。
澤本:髪型は、写真を撮ると思って当日にちょっとやらかしちゃって。その頃、結構親に切ってもらったり、近くにいたおじさんに切ってもらったりしたわけ、
権八:近所のおじさんに。
澤本:そう、それで当日、よし、写真だ!ぼさぼさだから切らなきゃまずい!カッコつけよう、と思って鏡の前に行って切ったら、ものすごいバッサリ真っ直ぐ切っちゃって。マンガって分け目から真っ直ぐな髪型多かったじゃない。これだ、って。だから、前髪が真っ直ぐ斜めに切れてる。髪の毛が一部分だけものすごく短いんだよ(笑)。髪の毛、普通は流すものだけど、流すという概念がないから、マンガのようにここ真っ直ぐ切ってるから(笑)。おかしいんだよ、これ。
権八:かわいいなぁ、そういうの(笑)。
沖:澤本は当時から変わってないところは面白いことが好きだったり、冗談を言うというのが全然変わってないと思うけど、やっぱり今になってCMでこんなに素晴らしい作品をつくったり、映画もつくったり、小説も書いたりというのは想像はもちろんしてないというか。だから、不思議な気分。澤本が僕のことをおきんきんと呼ぶと、一気に小学校の頃の僕になるし、でも今は今でそれぞれ違う分野でやってるというのが2つあるという感じで、不思議な感じ。
澤本:普通にしゃべっていてうれしいのと、じつは世界的なスカバンドのという話で言うと、今度ジャカルタに行くじゃないですか。スティングと一緒にやってたよね。
中村:3月4日~6日にスティングらと一緒にジャカルタのジャズフェスティバルに参加すると。
権八:スティングって、あのスティングですか?