人類が経験したことのない事態が起きている
そういう「意外と変化が少ない人の生」に比べると、ボクたち「情報産業」に従事している人間にとっての仕事の場である「情報環境」における変化は、ちょっと次元が違う。
変化という言葉では生ぬるい。
革新。革命。大跳躍。
人類は、ここ20年、いままで誰も経験したことのない事態に直面し続けた、とボクは思う。結果的に、ではあるが、日本ではざっと5年おきに革新・革命・大跳躍が起きている(もちろん誤差はあるが、ざっと、である)。
- 1995年 インターネット普及開始
- 2000年 グーグル日本語検索登場
- 2005年 情報洪水の始まり(ボクは「情報“砂の一粒”時代」と呼んでいる※)
- 2010年 ソーシャルメディア普及、スマホ普及
※(2005年を境に起こった情報洪水のことをボクは「情報“砂の一粒”時代」と呼んでいる。たとえば2010年には世界に約1ゼタバイトの情報量が流れたのだが、1ゼタバイトとは「世界中の砂浜の砂の数」である。そんな情報量に囲まれていることを情報産業に従事している限りもっとシビアに受け止めなければいけない、と、ボクはそういう造語を作り自分を戒めている)
たった20年だ。
人類が誰も経験したことがない事態が、この20年、約5年おきにこんなにたくさん起こっている。ボクたち情報産業に従事するものは、誰も想像しなかったような革新・革命・大跳躍に5年おきに晒されてきたのである(この流れで言うと次は2015年になるが、その革新・革命・大跳躍が何なのかはもうちょっと未来から眺めないとわからない。第一候補はAIかな…)。
これらがなぜ革新・革命・大跳躍かは、長くなるから省くが(というか説明するまでもないとは思うが)、どれも「以前誰かが経験したこと」ではない。「先人がいない」のだ。誰も先例を示してくれないのである。そういう中、みんないちいちその変化に驚きながらワクワク(ある意味ビクビク)進んできたのだ。誰も歩いたことのない荒野を手探りに歩いてきたのが、この20年なのである。
「ネットがなかった時代って、想像できる?」
「グーグルがなかったころ、どうやって調べ物していたと思う?」
「SNSどころかメールもLINEもなかったって、どんな毎日だと思う?」
20代の若者にこんな問いかけをすると、みんな茫洋とした表情になる。いや、ボクだって茫洋とする。たった20年前、ボクはどういう日常を送っていたんだっけ?
そして。10年後、20代の若者にボクはきっとまた問いかけている。
「○○○がなかった時代って、想像できる?」
たぶん、これからのたった10年で、確実に、いま想像もできない技術が、日常で大きな位置を占めている。そう、この革新・革命・大跳躍は「現在進行形」なのだ。ということは、あなたがもし今「独立」したら、この革新・革命・大跳躍の大波を、もろにかぶり続けることになる。
もうボクが言いたいこと、わかりますよね?